江戸期の私塾を訪ねる (2017.12.20 Wed.)

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Y先生の週一講座。本日年内最後。懸案のご近所私塾探訪。下調べそして案内役はKさん。一時間のレクチャーの後、出発。以下ルートなど覚書。

●訪問箇所:

1)松永尺五「春秋館」跡:西洞院二条下ル

[1592〜1657]江戸前期の儒者。京都の人。名は昌三。松永貞徳の子。藤原惺窩の弟子。林羅山とは対照的に,禄仕せず長年京都で私塾を経営。門下に木下順庵貝原益軒安東省庵などを輩出。著「彝倫(いりん)抄」「尺五先生全集」など。

2)伊藤仁斎「古義堂」跡:東堀川下立売上ル
 *近くに、山崎闇斎[1618〜1682]邸跡

[1627〜1705]江戸前期の儒学者。古義学の祖。京都の人。名は維楨(これえだ),字(あざな)は源佐(げんすけ)。年来学んできた朱子学に疑問を抱き,直接古典,ことに「論語」「孟子」の真義をつかんで仁義の実践躬行(きゅうこう)を求める古義学を首唱。京都堀川に古義堂を開いて堀川学派と呼ばれ,門弟三千余人におよんだ。著「論語古義」「孟子古義」「語孟字義」「童子問」など。

3)宇都宮遯庵「求身堂」跡:高倉通椹木町

[1633〜1707]江戸前中期の儒学者。岩国藩儒。名は的,通称は三近。松永尺五に朱子学を学ぶ。著「日本古今人物史」中の秀吉の部下,中川清秀(1542〜1583)の項の記載が幕府にとがめられ,岩国に数年蟄居を命ぜられた。

4)石田梅岩塾跡:車屋町御池上ル東側

[1685~1744]江戸中期の思想家。石門(せきもん)心学の始祖。丹波の人。本名、興長。小栗了雲に師事。実践的倫理思想をわかりやすく説き、町人層に歓迎された。著「都鄙(とひ)問答」「斉家論」など。

1)から3)人物詳細は「スーパー大辞林」より
4)は「デジタル大辞泉」より

例えば伊藤仁斎の、学ぼうとする者は、学問の真理の前では対等であるという終生変わらぬ姿勢「本物の学問とは、人生いかに生きるべきかをひたむきに探求することである」といった言葉に、江戸時代の学者たちの哲学を垣間見ることができ、そしてそれを「実践」していたことを実際に跡地を訪れてより身近に感じることができ、深い感銘を受けた。