乾山セミナー(2025.08.24 Sun.)

昨日、今日と第17回宝蔵寺「乾山セミナー」へ参加。このセミナーへ初めて伺ったのは第8回。主催者「宝蔵禅寺」のご住職と、とある場所でご縁を得、お声をかけていただいたのがきっかけ。毎回非常に面白く、今夏も楽しみに伺った。

初日の23日(土)は「鳴滝窯と川喜田半泥子···著書『乾山考』から···」(講師:龍泉寺由佳氏/石水博物館学芸課長)と「バーナード・リーチの『乾山』再発見:バーナード・リーチ著『乾山-四大装飾家の伝統』(1967)を読む」(講師:花井久穂氏/東京国立近代美術館第二企画展室長)

龍泉寺さんのお話は、川喜田半泥子の著書『乾山考』⦅昭和18年(1943)3月刊行⦆及び、半泥子が残した数多くの直筆の資料も踏まえた内容で、どのように半泥子が「乾山」のことを理解し親しみを感じていたのかが理解できる内容だった。出発点は乾山が『陶工必用』において“「世界赤白ノ土何レカ陶器ニ不成ト云事アルベカラズ,其善悪窯ヘ入レヤキ候テ試ミ可相分 度量狭少ナルハ何之道モ成就スべカラズ」”と言い切っていることに共鳴し乾山研究に打ち込み始めた、そうだ。昭和16年(1941)3月、仁和寺の『御記』を見る機会に恵まれ、翌年2月末から鳴滝の乾山窯跡の調査に入り、作陶には水が必要だから古井戸の近くに窯場はあったはずと推理し、実証された等、半泥子の足跡と精神を学んだ。

続いて花井さんのお話。バーナード・リーチの著作、その翻訳本『乾山-四大装飾家の伝統』(水尾比呂志訳/1967年)を読み解いていく。バーナード・リーチが「七代乾山」、研究者の間では周知の事実のようですが、全く知らず。他にも色々、ええっ!?ということもあり、様々な角度から検証、検討することの重要性を大いに感じた。最初に知ったことが自分の中での真ん中を占めてしまいがち、ということにも警鐘を鳴らす機会となった。花井さんにはぜひ英語で書かれた原書にあたっていただきたい。

二日目の本日は「京阿蘭陀研究···その意匠を中心に」(講師:中山創太氏/神戸市立博物館学芸員)を拝聴する。「京阿蘭陀」とは19世紀、京都の粟田口周辺で制作されたとされる軟質施釉陶器、素焼きした生地に白化粧土、藍絵で絵付を施して焼成したもの、だそうだ。初代乾山がはじめたとされる阿蘭陀写しの延長線上に位置する焼物。17世紀にイギリスで開発された銅板転写磁器(プリントウェア)が量産性に富み、庶民へ陶磁器製品が普及する契機の一つになった。1830年代からオランダ・マーストリヒトを中心に製造され、「異国趣味」に富むデザインも多く見受けらる。19世紀以降、長崎貿易の主要な商品のひとつとなり、日本にもたらされた。そしてそれらの意匠を日本の陶工が取り入れ、模倣から独自のデザインに展開していく流れなど、多くのスライドと共にご説明いただいた。

講演をお聞きしていたときには思い至らなかったけれど、後から疑問が持ち上がる。伊万里の染付けが景徳鎮に代わりヨーロッパに輸出され始めたのは1659年(サントリー美術館のサイト参照)。初代乾山(1663年-1743年)が生まれる前にはすでに有田では景徳鎮磁器に勝るとも劣らない品質の磁器をつくり出していたことになる。となると、京阿蘭陀と伊万里の関係はどうなんだ!? 景徳鎮からその地位を奪取した伊万里→オランダ→京都・江戸、というグルグル関係なのか。それとも双方向に入り乱れた関係なのか。これはその内、解決せねば。

とにもかくにも今夏も有意義なセミナーでした。学芸員の皆様から研究の「今」を直接伺えるのが何よりのご馳走です。ご講演の皆様、そして運営に関わる方々に心から御礼申し上げます。