鈴鹿山(2026.07.23 Thu.)

所用ありて街に出る。この機に乗じて鈴鹿山の粽を求める。京都に越してきて、初めていただいた粽が鈴鹿山。そのときにこれからずっと瀬織津姫様にお守りいただくと誓った。しかし一昨年、去年と諸事情により違う粽。今年こそ原点回帰と心して、めでたく授与していただいた。粽と共に、「鈴鹿山の秘密 作・ロビンやすお」というパンフが入っていた。漫画で読む鈴鹿山の歴史。面白く読む。なるほどなるほど。そうやって鈴鹿山は誕生したのですね。

そのパンフを読み、私なりに理解したのは下記の通り。

鈴鹿山のある場之町の元の町名は三条米場之町、お米の流通管理の町だったそうだ。そこで町衆が曳山のテーマを、流通→関所→三関*のひとつ鈴鹿関の鈴鹿権現が御神体はどやっ、となったそうです。

東海道の難所、鈴鹿山の関所では悪鬼が人々を苦しめていたそうな。その悪鬼は稲妻を操り無敵の強さを誇っていたそうですが、鈴鹿権現が現れ悪鬼を退治。鈴鹿関の守神として鈴鹿権現が祀られるようになったとか。元々は鈴鹿山に現れる女盗賊「立烏帽子」だった鈴鹿権現。この立烏帽子の活躍が有名になり、旅の守護神鈴鹿御前として祀られたそうだ。この鈴鹿御前のお社と片山神社の水神瀬織津姫のお社とが合祀されて、鈴鹿御前と瀬織津姫は一体の御神体となり、その御神体をいただくのが鈴鹿山。

しかし、いくつか疑問がむくむくと、なぜ女盗賊の活躍が有名になり祀られるようになったのか? 調べてみると「天皇の命により立烏帽子退治にやってきた坂上田村麻呂に恋心を抱き、彼が鈴鹿山の鬼神を討伐する際に多大な協力をして勝利に導いた」ようですが、個人的にはイマイチ納得がいかない。元々は女神・天女だったのに、後に盗賊立烏帽子と同一視された、という記述も。調べれば調べるほどわからなくなるのが、日本昔話の常(苦笑)

とりあえず詳細は脇に置いて、鈴鹿権現(瀬織津姫)様にこれからもお守りいただく、ということで!!

その他パンフから得た情報:
鈴鹿山の御神体は全身一体型の人形(176cm)なので、装束は能楽師が着付けする
手にする長刀は真剣
御神面(天和3/1683年製作)の下にはお歯黒までした秘密の素顔
後祭の巡行が終わると普段着に着替えてお休み
胴懸は華やかな春の桜図、見送りは常夏のハワイの蘭花図、もう一方の胴懸には秋の紅葉図、そして前懸には冬のラクダ図
(シルクロードのラクダも流通とご縁があるからだそうだ)
真松には巡行後に盗難よけとして授与される絵馬が数多く飾られ、真松の根元にある山祠には討ち取った悪鬼の首が祀られている
(知らなかった!!)

* 古代、都の防備として置かれた三つの関所。奈良時代には、伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発(あらち)。平安時代には、愛発に代わり近江の逢坂(スーパー大辞林より)