ニシキギ(2025.01.27 Mon.)

ニシキギ植る庭師のYさん、Mさんコンビにお入りいただく。お二人が入っていただくことをいいことに、落ち葉もそのまま掃きもせず溜めにためた(苦笑)隅々までさっぱりきれいに。風通しも良くなって庭も散髪後の気持ちよさの体。お二人の仕事ぶりはとても丁寧で毎回感心する。今回は散髪、じゃなかった剪定だけではなく、一本新しい木を植えてもらった。北側の生垣として植えられているカナメモチの枝が一部広範囲に枯れてしまい「穴」が開いてしまったので、目隠し効果を狙いニシキギを。秋には台所の窓から紅葉を楽しめるのがお気に入りということもあり、ニシキギを選んだ。無事に根付きますように。同時に、越してきたときからある、古く一部朽ちてしまった木の柵を撤去してもらおうと目論むも、諸事情によりこちらは断念。

・ニシキギ/錦木 :ニシキギ科の落葉低木。高さ約1.5メートル。枝に四列のコルク質の翼がある。葉は楕円形。初夏、淡緑色四弁の小花をつける。紅葉が美しいので庭木ともされる。晩秋、果実が熟して割れ、赤い皮のある種子を現す。季語は秋。(「錦木の花」は夏)=大辞林参照=

キクとヒュウガミズキ(2024.12.07 Sat.)

ひょろひょろとしどけなく伸びてしまったヒノミサキギク。咲いたところで刈り取って、家のあちこちで楽しむことに。自由奔放にあっちこっちを向いていて、少々活けるのが難儀ですが、その分風情はある。照り葉はヒュウガミズキ。

菊ほど自分の中で評価が変わった花もない。活花を習っていた20代。花材に菊があると、どんなものでも避けていた。N先生が今の私を見たら、きっとお笑いになる。大人にならないとわからない良さ、というものはあるのだ。それが私にとって菊だった(笑)

この秋の庭(2024.10.27 Sun.)

ロングランが続いた夏のせいか、庭の草花も迷い惑っているようだ。ヤマホトトギスは一部「いもちゃん」(ルリタテハの幼虫)の食堂となってしまったこともあり、花が少ないと思っていましたが、ここに来て盛り返し、元々植えた北側と移植した南側でずいぶんと目を楽しませてくれている。北と南で微妙に色味が違うのもいい。毎年小鳥ちゃんに啄まれてしまうコムラサキシキブは今年も例外ではなく。一つ残らず食べられてしまう(涙)7月に旅に出るときは幾つも実がなっていた柿は、戻ってきたらイラガの攻撃を受けていて、ひとつも見当たらず。これまた涙。キンモクセイは10月中頃からふわっと香り出した。樹木は夏に暑さに加え雨が少なかったことが影響したのか、枯れてしまったものも。北側の柘植が気がついたら枯れていて驚いた。ミカエリソウは「オンブバッタ」に随分と気に入られてしまい、葉がぼろぼろに。花は咲いたものの、見るも無惨な姿になってしまった。来年は何か抜本的な対策を取らなくては。ヒノミサキギクは自らの意思で最初に植えられたところから匍匐前進を繰り返している。ひょひょろと伸びて地を這うような姿は少々しどけない。こちらも対策を考えなくては。

ヤマホトトギスとミズヒキを少し庭からいただいた。お花はいい。ちょっとあるだけで、心が和む。

元旦(2024.01.01 Mon.)

何かが起きる度、気持ちを引き締めるけれど、いつの間にか漠然と明日も同じ日が巡ってくると思ってしまう。“諸行無常”ということをあらためて噛み締める。それにしてもよりによって元日にと暗澹たる気持ちになるけれど、大地の営みの視点に立てば、人の思惑などは関わり合いのないことで、「起きる」ということを念頭にできる限りの用心や手立てを考えなくていけない。戦争は自分たちの力で「しない」という判断と努力ができるけれど天災はそうはいかない。だからこそ日本丸の船長には嘘やまやかしのない人を。そのためには絶対選挙へ行こう。遠い道のりに見えるけれど、自分のできることをやり続けよう。そしてまずは、被災地への支援を!

お正月のお花はご近所の友人宅のお庭からロウバイ、そして拙宅の庭からスイセンとセンリョウ。

ホタルブクロと蛍(2023.05.28 Sun.)

ホタルブクロが色付くと蛍が飛ぶ。この法則は今年も健在。すでにホタルブクロが咲き始めていた先々週、横浜から戻った夜。17系統のバスを疏水沿いで降りると、数名の方が疎水を覗き込んでいた。もしやと見てみると… 飛んでいました! いつもはこの付近では見ることがあまりないのに、幾つも光を放って飛び回っている。ということは今年は数も多いのだろうか。思いがけなく蛍を楽しんで、帰宅。すてきなおまけがありました。そして本日。雨で倒れてしまったホタルブクロを籠に。お軸は書の先生の短冊、エンボスの書「歳月人を待たず」を。