この名のお菓子があることを知る。川端道喜さんが宮中に納めていた八朔のお菓子。“藤の花は焼栗と黒大角豆を付けた白・黒のしんこ餅で、八朔餅とも呼ばれた。道喜から納められた黒胡麻で米を練りまぜた白粥とともに八朔祝の食膳に供した。” 同志社女子大の教授だった故林淳一氏の講演記録がネットで公開されており、このような記述を見つけた。知人からは岩波新書「和菓子の京都」(川端道喜著)の第三章「茶の湯の四季」には“ハ月には藤の花。これは黒・白・黄で、黒はこれに豆をつけ,黄、白は炒米で、長さ三寸、巾六分のねじれた円筒形の餅です。豆を点々とつけることで藤の花に似せてるんですね。”という記述があると教えられた。なお、現在でも白色と藤色の2種が作られているご様子。
「藤の花」がどういうお菓子かは大凡わかった。しかし分からないのは名の由来。なぜ八朔に季節外れの藤の花。藤原に因んで、なのか。あるいは言葉遊びか。ふむ。
八朔といえば、故郷では「おはっさく」と言って、月遅れの9月1日にお祭りがあり、毎年楽しみにしていた。現在は大名行列*もありさらに盛大に。詳細はこちらで。
*私は最近になって大名行列が登場したのかと思っていましたが、さにあらず。私がお祭りに行ってたころに「中断」していた、ということらしい。そもそもこの大名行列の歴史は江戸時代から。戦時下に一度途絶え、戦後に復興。その後は不定期に開催していたが、昭和43年を最後に交通事情や人手不足などを理由に中止となる。その後昭和49年に1回実施されたまま見送られてきた。 昭和57年、大名行列を復活させようとする気運が高まり、実行委員会が組織されこの年の八朔祭で見事復活。昭和62年には、交流の深かった板橋区の区民まつりに招待され、初めて県外でその勇姿を披露し大きな成果をあげその後は毎年「おはっさく」に大名行列が見られるようになった、とのこと(“都留市観光協会”コラム」及び“つるのルーツ”サイト」参照)



