「藤の花」(2026.08.10 Mon)

この名のお菓子があることを知る。川端道喜さんが宮中に納めていた八朔のお菓子。“藤の花は焼栗と黒大角豆を付けた白・黒のしんこ餅で、八朔餅とも呼ばれた。道喜から納められた黒胡麻で米を練りまぜた白粥とともに八朔祝の食膳に供した。” 同志社女子大の教授だった故林淳一氏の講演記録がネットで公開されており、このような記述を見つけた。知人からは岩波新書「和菓子の京都」(川端道喜著)の第三章「茶の湯の四季」には“ハ月には藤の花。これは黒・白・黄で、黒はこれに豆をつけ,黄、白は炒米で、長さ三寸、巾六分のねじれた円筒形の餅です。豆を点々とつけることで藤の花に似せてるんですね。”という記述があると教えられた。なお、現在でも白色と藤色の2種が作られているご様子。

「藤の花」がどういうお菓子かは大凡わかった。しかし分からないのは名の由来。なぜ八朔に季節外れの藤の花。藤原に因んで、なのか。あるいは言葉遊びか。ふむ。

八朔といえば、故郷では「おはっさく」と言って、月遅れの9月1日にお祭りがあり、毎年楽しみにしていた。現在は大名行列*もありさらに盛大に。詳細はこちらで。

*私は最近になって大名行列が登場したのかと思っていましたが、さにあらず。私がお祭りに行ってたころに「中断」していた、ということらしい。そもそもこの大名行列の歴史は江戸時代から。戦時下に一度途絶え、戦後に復興。その後は不定期に開催していたが、昭和43年を最後に交通事情や人手不足などを理由に中止となる。その後昭和49年に1回実施されたまま見送られてきた。
昭和57年、大名行列を復活させようとする気運が高まり、実行委員会が組織されこの年の八朔祭で見事復活。昭和62年には、交流の深かった板橋区の区民まつりに招待され、初めて県外でその勇姿を披露し大きな成果をあげその後は毎年「おはっさく」に大名行列が見られるようになった、とのこと(“都留市観光協会”コラム」及び“つるのルーツ”サイト」参照)

匂い袋(2026.07.25 Sat.)

先日街へ出た折、(今年めでたく白寿を迎えた)東京の友人へ贈るものを見繕うとギャラリー遊形さんへお寄りした。先日鎌倉から上洛した友人から頂戴したこちらの和三盆(福俵)も良いかなぁと思い。すると粽を模った匂い袋も目に留まった。これなら邪魔にならず部屋の片隅に置いていただけるだろうと、香りをしかと確かめてから購入し和三盆と共にお送りした。匂い袋は自家用にもひとつ。写真では分かりにくいのですが「蘇民将来」の文字もちゃんと入っています。

「謡をきく 謡をよむ」(2026.05.03 Sun.)

第五回。本日は「加茂(かも)」謡とお話は、金春流シテ方、佐藤俊之さん。住まいの近くのお話でもあり、大いに楽しみに出かけた。「加茂」は“むかし、里に住む女が川で神に手向ける水をくんでいました。水桶にとまった流れ矢を持ち帰って家の軒に挿したところ懐妊し、男児が生まれます。この矢と、母と子が三社に祀ってあるのだという、賀茂神社の縁起を題材にした能です。”(以上“”チラシより抜粋)

*賀茂神社の縁起では、女は賀茂氏の娘となっているが、能の「加茂」では秦氏の娘となっている

以下当日の資料を参照、抜粋(リライトあり)。

賀茂神社は京都東部を貫流するは賀茂川の上流にあり、上下二社。上賀茂の社は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社と称し、賀茂別雷命をご祭神とする。下鴨の社は賀茂御祖(かもみおや)神社と称して、別雷命の母、玉依媛命(たまよりひめのみこと)および祖父、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)をお祭りしている。

*能では、子/別雷神、母/御祖神、矢(父)/御矢、を三所の神としている

能「加茂」は神の能。初番目物(脇能)に分類。前場では賀茂神社の縁起を語り、後場では神徳を称える。

播州室の明神の神主とその従者が、本社である都の賀茂明神(下鴨神社)に参詣すると、加茂川のほとりに白羽の矢を立てた祭壇が設えてある。そこに神に手向ける水を汲みに女がやってきて、その矢をめぐる別雷の神、誕生の物語を語る。室の神主が女の素性を尋ねると、大君を守護している神であるとだけ答えて姿を隠す。賀茂の御祖の神が登場し、御代を賛美して舞う。ついで別雷の神が現れ、王城守護と君臣の道を正すことを誓って舞い、雷鳴とともに雨を降らせて、五穀の豊穣を予祝する。

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以下覚え書き:
依代としての翁の面(シャーマニズム)の始まりや、そこから次第に神様や強い武将、美しい女性、妖怪などのキャラクターが出来上がる(江戸時代)。昔は翁の面*をつけて村のおえらいさんがお祭りなどで演じていたのものが、プロに変わり(猿楽)、氏子といった特定の人たち以外にも広げていくために(集客)ヴァリエーションを増やした、というような能が出来上がっていくプロセスも知ることができた(私の記憶なので間違いもあるかもしれません)。流派によって扇の作りが違うことも学んだ。そう言えば昔、観世流を習っていた父の舞台を見に行ったとき、楽屋で突然袴を畳むように言われ、その時に袴(仕舞袴)の畳み方も流派によって違うと教えてもらったことを、懐かしく思い出しました。

中啓、鎮扇
縁語、頭韻、「石川や瀬見の小川」は賀茂川の古名
石川や瀬見のをがはの清ければ月も流れを尋ねてぞ澄む(鴨長明)
*顎が切れているのは古い面

今後の予定:
vol.6 7月12日(日)「藤戸」
vol.7 10月11日(日)曲目未定

詳しくはこちらで。

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参加した回:
vol.1「角田川」(他流は「隅田川」)
vol.4「葛城(かづらき)」

「謡をきく 謡をよむ」(2026.02.15 Sun.)


謡とお話は金春流シテ方、佐藤俊之さん。昨年6月に第一回「角田川」(他流は「隅田川」)へお邪魔したのが縁で、本日また寄せていただくこととなった。本当は毎回参加をしたいのだけれど、他の用事と重なることも多く、ようやく2回目。

本日、第4回は「葛城(かづらき)」舞台は雪に覆われた葛城山。“自称”容貌が醜い葛城の神(一言主)が主人公。大昔、葛城から吉野大峰山へ岩橋を渡そうとした役行者に助力を頼まれた「葛城の神」は、醜い容貌を恥じて夜だけしか働かず、仕事が遅い!と腹を立てた役行者に、蔦葛で縛られてしまった、というエピソードが一つ目の下敷き。こんなことで腹を立てるなんて修行が足りないね、役行者(笑)二つ目は、しもとゆふ葛城山にふる雪のまなく時なくおもほゆるかな という『古今集』の「古き大和舞の歌」(配布資料参照)

催しのチラシに「謡は美しい詩のことばの連なりです」とありますが、まさに。掛け詞なども耳に心地よく、物語に惹き込まれる。まず解説があり、次にその部分の謡、と進められていくので私のようなビギナーにもとても分かりやすく、そして楽しめる。遅蒔きながら、引き出しに少しづつでも知識を蓄えて行こう。終了後に面についても詳しく教えていただいた。正気の場合は黒目の部分が「四角い」ということを初めて知った。能面の展示会へも行っているのに!! 「増女」「冠下」という言葉も引き出しに。

今後の予定:
5月3日(日・祝)「加茂」
7月12日(日)曲目未定

詳しくはこちらで。

厄除け 法螺貝餅(2026.02.07 Sat. )

節分にいただいたお菓子の覚書。写真はお土産に頂戴したものを自宅で撮影。お席ではもっと素敵なプレゼンテーション(笑)ご製は柏屋光貞さん。同じくこちらの「行者餅」に花びら餅のエッセンスも加わったお菓子、という印象。形は紛う方なし法螺貝! さてこの節分の日限定の「法螺貝餅」は“戦後、聖護院が新たに本山修験宗として再出発する時期に門主を務められていた岩本光徹師の要請で作られたお菓子”だそうです。柏屋さんのご当主は代々は修験道の修行をされており当時9代目の方が“岩本光徹⾨主との深いご関係によって菓子の依頼を受けられた”とのこと。そして“当時⾨主から託されたのは、聖護院⾨跡に昔から伝わっていた「麩の焼き」⾵の「法螺」という菓⼦の、「新たな形」” そうして出来上がったのが現在の「法螺貝餅」だそうです。お菓子に歴史あり!(以上“”内は「瓜生通信」より抜粋)

聖護院⾨跡に昔から伝わっていた麩の焼き風のお菓子「法螺」も気になります。

こういうお菓子を口にできるのも、日々の安寧があってこそ!!