シンポジウム@京大(2025.10.24 Fri.)

「京都を学ぶ~知がつなぐ時代と分野の架け橋~」と題されたシンポジウムに。“京都大学白眉センターの本年度着任した白眉研究者が中心となり活動するPRワーキンググループ”の開催だそうだ。“本シンポジウムでは、文系・理系を問わず、京都および京都大学にゆかりのある先生方をお招きし、京都の歴史・文化から現代社会、さらに未来の医科学へと「知」がつながっていくリレー形式の講演”とサイトに。ご登壇者のお一人とご縁があり、開催を知る。ご近所だし、折良くこの日は何も予定がないし、とエントリー。以下当日のプログラム。どの方のお話も興味深く、異なる分野がそれぞれに呼応して繋がって行く。これからの学問の道筋を垣間見たようにも思いました。

・呉座 勇一(国際日本文化研究センター 准教授)
 「応仁の乱と中世京都」

・河内 将芳(奈良大学 教授)
 「上杉本洛中洛外図屏風に描かれた祇園祭」

・芳澤 元(明星大学 准教授)
 「肉食と酒にみる京都文化」

・梅田 眞郷(京都大学名誉教授/HOLOBIO代表取締役社長)
 「京都から拓く新しい水産業〜世代を超えたキャリアとしてのスタートアップ」

・ 長谷川 恵美(京都大学 准教授)
 「睡眠のメカニズム」

・ 塩見 晃史(京都大学 白眉センター特定准教授)
 「異分野融合の架け橋〜西国の覇者の上洛からセルメカニクスまで」

メモ:「魚付林」という言葉を知る。丹後阿蘇海の豊かさに驚く。魚も人もKWは腸内細菌叢。そして細胞の柔らかさがキモ。私たちの最初の腸内細菌は母親から。ヒトの母乳に含まれている、ヒトミルクオリゴ糖は赤ちゃんは消化できず、ひたすら腸内環境を整える栄養素、らしい。「汁講」また流行らせたい(笑)「たぬき汁」精進なのかはたまた…

白隠フォーラム in 宇和島(2025.09.28 Sun.)

今回の旅のメインイベント、午後からは宇和文化会(西予市宇和町)にて「白隠フォーラム in 宇和島」(主催:花園大学国際禅学研究所)へ参加。今朝、八幡浜から宇和島へ向かう高速の反対車線(上り)が事故渋滞で長い長い列。片側1車線でこう言うことが起こるとどうにもならない。帰りが少し心配になりましたが、すでに解消されていて、途中から高速に入り、予定通りフォーラムの開場時間に到着。安堵。フォーラムでは「白隠禅師」を核に、四国に於ける臨済宗の歴史、吉田藩や大洲加藤家(法華津屋)とそこで起きた一揆などを踏まえた郷土史のお話しなど。それぞれのお話に登場する人物がさまざまに交差する。歴史の一旦を垣間見ることができ、非常に面白かった。以下個人的覚書。

「大乗寺と遼天宜頓〜四国における白隠禅の嚆矢〜」
河野徹山老大師(大乗寺専門道場)
1.南伊地方における臨済禅の伝播
2.四国における白隠禅の伝播
3.遼天宜頓の生涯(1727~1793)
4.むすび
以上の内容(レジメより抜粋/以下同)をよく通るお声でわかりやすくお話しされた。特に時間が割かれた「3.遼天宜頓の生涯」では白隠慧鶴に参禅し白隠の法嗣(白隠は42歳年上)となり38歳で大乗寺の住職となり67歳で遷化された遼天宜頓(りょうてんぎとん)について、関わりのある人々や事件などを関連づけてのご説明。昨日大乗寺も参詣し、吉田藩や法華津屋、そして法華津屋の高槻狸兄の関係などお話をお聞きしていたので、糸が絡まることなく理解ができた。

*補足:遼天宜頓の授業師(僧侶の修行における最初の師)は醍仙全威(だいせんぜんい/大乗寺六世、浩雲養法嗣)その後、白隠の法嗣である天倪慧謙(てんげいえげん)に初参し、後に白隠慧鶴に参禅

「愛媛に伝わる白隠禅画と近世郷土史(武左衛門一揆)」山田広志先生(大洲市教育委員会) 
・参考資料「大洲加藤家と禅」
①龍護山天梁と中江藤樹
②如法寺盤珪と加藤泰興
③白隠と大洲藩加藤成章
山田広志先生のお話では、内ノ子騒動、武左衛門一揆の詳しい背景などもヴィジュアル資料を駆使してお聞かせいただいた。その中で一揆にルールがあったこと、が特に印象深い。「してはいけないこと」が厳格に決められていてそのルールの範疇で一揆が行われていた、ということ。これまで漠然とイメージしていたことが、がらがらと崩れ落ちていく。そういえばNHKの「べらぼう」でも打ち壊しのときに… と膝をうつ!

「白隠禅師と近世の吉田藩・大洲藩」
芳澤勝弘先生(国際禅学研究所顧問)
★白隠と伊予の関わり
★加藤泰衑(かとうやすみち)の時代
★参勤交代について白隠の批判
★百姓一揆を白隠はどう見ていたか
★吉田藩の豪商高月狸兄と白隠
★吉田藩の武左衛門一揆

白隠は、伊予は松山までしか来ていないが、大洲藩との関わりはあるようだ。白隠64歳の寛延元年(1748)5月17日、大洲加藤家第六代藩主の加藤泰衑(かとうやすみち)が、三島宿で朝鮮通信使の御馳走役を勤めた。御馳走役は復路も往路と同じ宿場で朝鮮通信使を接待しなければならないから、おおよそ1ヶ月半、江尻あるいは三島に滞在し、泰衑(21歳)および加藤内蔵助成章をはじめ臣下の者たちは、この時に白隠に会う機会があったと思われるとのこと。この日会場に数本の掛軸が飾られたのですが、その中でも一際目を引く巨幅「布袋吹御福」図(大洲市法華寺所蔵/大洲市立博物館寄託)は、このときの出会いが縁で泰衑に贈られたものらしい。(前述の内ノ子騒動は、この翌年、泰衑22歳のとき)大洲藩加藤家の家老、加藤内蔵助成章と白隠の間に書簡の往復があったり(68歳/1752、伊予吉田の豪商、法華津屋の3代目当主、高月英光(俳号狸号)が東海道原宿に滞在し、白隠(69歳/1753)に相見、江戸川深川の臨川寺で「碧眼録」の提唱を行なった際(75歳/1759)には、大洲藩家臣、加藤玄雄が参じるなど、吉田藩と大洲藩と白隠はさまざまな糸で繋がる関係が確認されているそうだ。吉田藩の武左衛門一揆は白隠が亡くなってから25年後。御用商人の法華津やが和紙生産を独占して暴利をむさぼったために、百姓たちが打ち壊そうと蜂起したそうだ。一揆は成功するが、首謀者の上大野村の百姓武左衛門は斬首になった。白隠が生きている時代であれば、この結末はなかったのかどうか。

最後はディスカッション。会場に掛けられたお軸のお話など。本日宿泊の大洲城下町へのバスの時間が決まっており途中退席かとどきどきしましたが、無事最後まで拝聴。研究者ではなくとも有意義に過ごせたのは、ご登壇の御三方のお力と、本日のコーディネーター、飯島孝良氏(国際禅学研究所副所長)のお力ゆえ。心より感謝申し上げます。

乾山セミナー(2025.08.24 Sun.)

昨日、今日と第17回宝蔵寺「乾山セミナー」へ参加。このセミナーへ初めて伺ったのは第8回。主催者「宝蔵禅寺」のご住職と、とある場所でご縁を得、お声をかけていただいたのがきっかけ。毎回非常に面白く、今夏も楽しみに伺った。

初日の23日(土)は「鳴滝窯と川喜田半泥子···著書『乾山考』から···」(講師:龍泉寺由佳氏/石水博物館学芸課長)と「バーナード・リーチの『乾山』再発見:バーナード・リーチ著『乾山-四大装飾家の伝統』(1967)を読む」(講師:花井久穂氏/東京国立近代美術館第二企画展室長)

龍泉寺さんのお話は、川喜田半泥子の著書『乾山考』⦅昭和18年(1943)3月刊行⦆及び、半泥子が残した数多くの直筆の資料も踏まえた内容で、どのように半泥子が「乾山」のことを理解し親しみを感じていたのかが理解できる内容だった。出発点は乾山が『陶工必用』において“「世界赤白ノ土何レカ陶器ニ不成ト云事アルベカラズ,其善悪窯ヘ入レヤキ候テ試ミ可相分 度量狭少ナルハ何之道モ成就スべカラズ」”と言い切っていることに共鳴し乾山研究に打ち込み始めた、そうだ。昭和16年(1941)3月、仁和寺の『御記』を見る機会に恵まれ、翌年2月末から鳴滝の乾山窯跡の調査に入り、作陶には水が必要だから古井戸の近くに窯場はあったはずと推理し、実証された等、半泥子の足跡と精神を学んだ。

続いて花井さんのお話。バーナード・リーチの著作、その翻訳本『乾山-四大装飾家の伝統』(水尾比呂志訳/1967年)を読み解いていく。バーナード・リーチが「七代乾山」、研究者の間では周知の事実のようですが、全く知らず。他にも色々、ええっ!?ということもあり、様々な角度から検証、検討することの重要性を大いに感じた。最初に知ったことが自分の中での真ん中を占めてしまいがち、ということにも警鐘を鳴らす機会となった。花井さんにはぜひ英語で書かれた原書にあたっていただきたい。

二日目の本日は「京阿蘭陀研究···その意匠を中心に」(講師:中山創太氏/神戸市立博物館学芸員)を拝聴する。「京阿蘭陀」とは19世紀、京都の粟田口周辺で制作されたとされる軟質施釉陶器、素焼きした生地に白化粧土、藍絵で絵付を施して焼成したもの、だそうだ。初代乾山がはじめたとされる阿蘭陀写しの延長線上に位置する焼物。17世紀にイギリスで開発された銅板転写磁器(プリントウェア)が量産性に富み、庶民へ陶磁器製品が普及する契機の一つになった。1830年代からオランダ・マーストリヒトを中心に製造され、「異国趣味」に富むデザインも多く見受けらる。19世紀以降、長崎貿易の主要な商品のひとつとなり、日本にもたらされた。そしてそれらの意匠を日本の陶工が取り入れ、模倣から独自のデザインに展開していく流れなど、多くのスライドと共にご説明いただいた。

講演をお聞きしていたときには思い至らなかったけれど、後から疑問が持ち上がる。伊万里の染付けが景徳鎮に代わりヨーロッパに輸出され始めたのは1659年(サントリー美術館のサイト参照)。初代乾山(1663年-1743年)が生まれる前にはすでに有田では景徳鎮磁器に勝るとも劣らない品質の磁器をつくり出していたことになる。となると、京阿蘭陀と伊万里の関係はどうなんだ!? 景徳鎮からその地位を奪取した伊万里→オランダ→京都・江戸、というグルグル関係なのか。それとも双方向に入り乱れた関係なのか。これはその内、解決せねば。

とにもかくにも今夏も有意義なセミナーでした。学芸員の皆様から研究の「今」を直接伺えるのが何よりのご馳走です。ご講演の皆様、そして運営に関わる方々に心から御礼申し上げます。

春水満四澤(2025.03.10 Mon.)

by 陶淵明本日足を伸ばした温泉宿で“春水満四澤”に出会った。お酒と菊を愛した陶淵明が詠んだ『四時歌』の第一句(起句)ということを知る。全文は下記の通り。

 春水満四澤 しゅんすいしたくにみつ
 夏雲多奇峰 かうんきほうおおし
 秋月揚明輝 しゅうげつめいきをあげ
 冬嶺秀孤松 とうれいこしょうにひいず

春夏秋冬、季節を感じ移ろいを愛で暮らしたいものである。

@京セラ美術館(2025.02.15 Sat.)

“コレクションルーム冬期 特集展示「世界が見惚れた京都のやきもの~明治の神業」関連プログラム 講演会「明治の京焼コレクターに聞く:美術品の見極め方」”へ。先日ギャラリートークへ伺った際、こちらのプログラムのご案内。なんですって!? 舞妓ちゃんによるお茶の接待付きですって!! 元々入っていた予定が中止になっていたことをこれ幸いと申し込んだ。少し早めに到着したら舞妓ちゃんとおかあさんの後ろ姿を拝むことができました。これまであまり目にすることも正直興味もさほどなかった明治の京焼が、展示を拝見した上で、本日コレクターのお話をお聞きして、ぐぐっと胸に迫ってきた。コレクターにはなろうと思うわないし、なれないし(笑)でも古いものは好きなので、「勉強すること」と以下三点しっかりと心に刻む。古九谷が伊万里、ということも知る。

・白を見る
・ブラックライトを買え
・買い手責任

コレクター、関和夫さんのお話は興味深くまた大きく頷けるものでした。机上論ではなく実地からのアプローチがそう思わせるのだろうか。展覧会に名を連ねる作家のお器でお薄一服のお心づくしにも、感銘を受けた。