袈裟に開眼 (2014.03.25 Tue.)

京都染色文化協会主催「描かれた服飾・残された染織 ─鎌倉時代のくらしと染織文化─」というセミナーを聴講した。「日本の衣服─技術と文化を語るシリーズ」で第四回。知人から誘われて前回の「平安時代のくらしと染織文化」講師:鳥居本幸代氏(京都ノートルダム女子大学教授)を聴講したのがきっかけでご案内をいただくようになり、今回も出かけた次第。

講師は山川暁(やまかわあき)氏(京都国立博物館 学芸部 教育室長)。袈裟がご専門とのこと。鎌倉時代は平安時代と同様に残されたものが少ないので研究も難しい。(ちなみに今は鎌倉時代の始まりは1185年と定義されているとか。1192ではないのね!)正倉院にずっと古いものが残っているので一般の方はそれより後の時代のものならもっと残っているに違いないと思われている方も少なくないですが、正倉院が世界の中でも希有な存在。特別なんです。と強調されていた。セミナーは四つの視点で構成され、わかりやすくたいへん面白かった。以下、要約覚書;

1 染色文化財の特性
  実用品である、素材は絹が中心、ゆえに使用によって劣化。痛んだものは保存されない。
  絹は脆弱で虫害も多く保存が難しい。宝物視されにくく残りにくい。

 染色文化財の使用空間
  仏教空間 神道空間 日常空間 

2 描かれた服飾 
  絵に描かれたものが果たして真実を写しているのかと悩むところだが、ある研究会の場で建築の研究家が「実際にあるものしか(建築は)描けない」と語った。同じように染織も事実が描かれているであろうという視点で見ていきたいと思う、という前置き。
 ●春日権現験記絵(模本)延慶2年〈1309〉高階隆兼筆 東京国立博物館蔵 *描かれている上流公家の服装は平安時代と同様
 ●石山寺縁起絵巻 正中年間〈1324〜26〉頃 石山寺蔵 (近江)*中流貴族 カラフル 男性/直垂 女性/五つ衣、裳袴 格子の織物流行
 ●一遍聖絵 正安元年〈1299〉円伊筆 清浄光寺蔵(神奈川)*武家/直垂 浅黄、青、白、茶 下級貴族/夏の夜 下女/小袖の着流し、はだし 尼/夜着
 ●法然上人絵伝 徳治2年〜〈1307〜〉約10年 知恩院蔵 国宝 *水色、茶、萌黄

3 残された染織
 ●古神宝類(神服)伝後白河法皇寄進 鶴岡八幡宮 *小袿 二重織 唐織 
 ●法会所用具類(装束・調度) 康元2年〈1262〉銘 東寺
 ●九条袈裟 兀庵普寧(ごったんふねい)〈1192〜1276〉所用 正伝寺 *「ごたごた」の語源はこの兀庵禅師
 ●九条袈裟 永仁2年〈1294〉銘 延暦寺
 ●内敷 延慶3年〈1310〉銘 妙光寺 *錦に綾 綾に刺繍
 ●経帙 東寺 *盤絵(スタンプ)
 ●籠手 春日大社 *糊(米)防染
 ●板締め染板 若宮大路出土 横浜市教育委員会 *材は桧 蹴鞠文様 白抜き

*水干(丸衿)から直垂(V字衿)へ 公卿から武家への時代
*さまざまな染織技法の存在

4 鎌倉時代染織史研究の現在ー伝法衣の世界ー
 ●九条袈裟 兀庵普寧(1192-1276)あるいは東巌慧安(1225-1277)料 正伝寺蔵
 ●牡丹唐草文様裂 江西省徳安県周氏墓(咸淳10年〈1274〉墓誌銘)出土 中国絲綢博物館
 ●九条袈裟 南浦紹明(1235-1308)料 妙興寺蔵
 ●柿の蔕文様裂 江西省徳安県周氏墓(咸淳10年〈1274〉墓誌銘)出土 中国絲綢博物館

*中国で出土されるものは顕紋紗に3タイプある内のAと呼ばれるタイプ
*鎌倉時代、年に二度、商船が往来 この船に乗って多くの僧が行き来した

染織品における基準作(研究する上での指標となるもの)とは?
●いつ、どの地域でどのような文化的背景の中で制作されたかが明らかで美術史の物差しとなる作例
●着用者が判明する、あるいは制作年代を記した文字資料が付随することによって制作年代の確実性が担保できる作例

美術史における袈裟の意義
(*袈裟は釈迦が規定した仏教僧固有の衣服。田んぼのデザイン(田相)。小さな裂を縫い繋いだ長方形の形状。無価値のもので作るという考えが出発点。なので大きな裂ではなく小さな裂を縫い繋ぐ。高僧の聖遺物。禅宗において法脈の正統性を証明する威信財)
●着用者の名とともに伝えられた袈裟は基準作となる可能性が高い
●多くが中国製との伝承を持ち、東アジア染織史の上でもきわめて重要

乾山セミナー (2013.08.26 Mon.)

24日(土)25日(日)と乾山縁の法蔵禅寺で行われた第9回乾山セミナーへ。縁あって昨年より伺うようになった。

初日は、影山純夫先生(神戸大学名誉教授)による「新古今の世界と乾山」そして中ノ堂一信先生(京都造形芸術大学大学院客員教授)による「欧米における乾山焼」。二日目は竹芸家の池田瓢阿氏による「乾山と竹の茶道具」、お昼をはさんで、茶杓作りを体験。

「新古今の世界と乾山」では元禄4年に出版された「鴫の羽掻」(シギノハネカキ)の存在を始めて知る。「六歌仙」「八景和歌」等、三十余の歌集から、五九六首の〈数〉に関わる和歌を蒐集。時代の好みを映す書で当時大量に出回っており、乾山も持っていたはず、という書物(絵入り)だそうだ。現在復刻版が販売されているほどの書物ながら今まで一度も耳にしたことも眼にしたこともなかった。そしてやはり「鴫の羽掻」が乾山に与えた影響は大きかったに相違なく、もう一度この書物を評価し直したい、というのが影山先生の結論であった。

「欧米における乾山焼」では「初期の欧米での乾山焼コレクションの実態と特徴」を「大英博物館フランクス・コレクション」及び「ボストン美術館モース・コレクション」から考察する、というものだった。イギリスの外交官、アーネスト・メイソン・サトウ(Ernest Mason Satow)、そして観古図説を著した蜷川式胤(ニナガワノリタネ)というキーマンの存在。時代によっての評価の違い。その裏側に隠れた作為、というようなものも資料からは伺える。

「乾山と竹の茶道具」では、竹と日本人と茶の湯、乾山と竹の道具、という観点からの考察。竹で編まれたもの、というのは比較的新しく古いものは木のへぎで編まれている。日本には竹簡がなく木簡のみ。なぜか。太い竹がなかったから。もともと竹は唐様として栽培されていた。つまり一般的な植物ではなかったということ。竹の国になったのは室町時代。孟宗竹にいたっては江戸の中頃になってから。薩摩が琉球に移植し、次に薩摩へ、そして江戸の薩摩藩邸から江戸の村および全国へ広まっていった、等々。また神事に使われる竹のお話しなど民族学の立場からのアプローチもあり、たいへん面白かった。乾山作の竹の茶道具を、煎茶そして茶の湯、その両方をされる池田先生から見ると、お茶道具であって煎茶道具としては使えない、そうだ。乾山作の籠の絵。一見ちゃんと描かれているように見えるけれど、構造がわかってない人の描き方。つまり乾山は籠は編めなかったと思われる。つまり乾山の手元にあった籠は「乾山作」ではなくて「乾山所持」。唐物と和物の違い、対比。くずれたものは飽きない。それを発見したのは茶人。特に利休。竹は真の先。どんな身分の高い人でも竹の道具でもてなすことができる。その根底には竹は依代として使われ始めた、というところに回帰する、という結論に納得。

続いて、実習「茶杓を削る」!三種類の竹。おおよその大きさにカットされあらかじめ撓めは作られている(さすがにワークショップでしかも初心にはこれは無理ですからねぇ)。ランダムに配られ手元にやってきたのは白竹(真竹)の逆樋(さかひ)。まずは竹と会話をする。次にどんな形にするかイメージする。次に実際に寸法を測って、樋を中心に左右5ミリから6ミリずつとったところに記しをつける。裏にはだいたいのプロポーションを描く。そしていよいよ削っていく。教えていただいたように小刀を持って、竹は机に固定。カーブしている部分は櫂先に向かって小刀を動かす。胴体部分は切止に向かって小刀を動かし幅を整える。幅が決まったら裏側も削る。かまぼこ型になるように。節裏の処理が固くて大変。途中で何度か先生にマジックをかけていただく(笑)最後に櫂先。おおよその形は先生が鋏で切って出してくださる。これまた難所。最後にサンドペーパーを裏側にかけ、小刀の背、丸みがついている角で全体をこすってツヤを出す。最後に全体を先生がチェックしてくださり、切止を入れて完成。ふぅ。大変でした!先生のマジックがなければ出来なかった!!しかし、とても勉強になりました。20名相手のワークショップながら先生の懇切丁寧なご指導、そしてお人柄に心を打たれました。この不器用な私が、もう一度やってみてもいいかも、と思うほど(笑)

資料代わりに配られたのは「はじめてつくる茶杓共筒」(指導池田瓢阿/淡交社)茶杓作りに挑戦してみたい方はぜひお手元に。とてもわかりやすく解説されています。

ワークショップで鞄を縫う!(2013.08.18 Sun)

ときどきおじゃまする、パンとワインが楽しめるお店germer(ジェルメ)さん。そこで11日から始まったバケットとワインのためのバッグ展。バケットやワインを入れて持ち運べるバッグは、革製品のカロトさんとろう引き帆布のrowさんのもの。最終日の今日(18日)は、カロトさんによる革のバッグを手縫いするワークショップが開催された。不器用で物覚えが悪く、お針を持つのは半襟をつけるときだけという私。最初は参加するつもりはさらさらなかったけれど、展示会初日にカロトさんや展示会をコーディネートしたKaOさんとお話ししている内に、やってみようかなという気持ちになった。カロトさんの「縫うといっても予め穴が空いていてそこへ針を通すだけですから」という言葉にも背中を押されて。

で、当日の今日。まずはジェルメさんで美味しくお昼をいただく。席が隣り合った他の参加者の方々ともすぐに打ち解けて楽しくお喋り。センスのいい女性ばかり。その中に男子も一人!生ビールを控えめににいただいてワークショップに臨む。

場所を変えて畳の部屋でワークショップ開始。まずは主催カロトさんのお話し。どんな風にモノづくりをしているか。こんな風に革製品に向き合って欲しい。と言ったお話しに大いに頷く。そして実際に私たちが今日縫うバッグのお話。くるくるっと丸めてエコバッグみたいに携帯できる革のバッグ。形は縦長と横長の二種類。革の色は、キャメル、ブラウン、ブラック。形と色は予め決めてお願いしていた。私はキャメルで縦長。それぞれが渡されたキッドには針、糸、カシメ(留具)、本体の革、がきちんと丁寧に袋に納められていた。これだけを見てもカロトさんのお仕事ぶりが想像できる。

行程をざっとまとめると、
まず本体バッグの革を裏向きに重ねて、両側側面を五ケ所しつけする
*このときは針は一本
しつけがおわったら、あらかじめ開けられた穴に添って縫い始める
縫い始めと縫い終りはスリーステッチ二重に。最後はボンドも使って糸を始末
*このとき針は二本 一本の糸の両端に針がついている
 その針を交互に刺して行く
*糸を針に通すやり方が普通の裁縫とは違っていて、針穴から糸が抜けないように
 針の先端に数回(今回は四回)糸を通す(針先で糸の真ん中を貫き、1センチ、5ミリ、3ミリ、3ミリ
 という感覚で合計四回刺し、刺しおわったら糸のエンドを針穴に通し、刺した糸を、針穴の方に
 ぐぐっと寄せては(焼き鳥を串からはずす要領で)針穴に通した糸をひっぱり、ということを繰り返し
 最後はぐぐっと寄せた糸を針穴方向へ向けて一気に抜き切り、最初に針穴に通した糸と一体にする。
 こうすることで、針から糸が抜けないようになる
両側面が終ったら底。底の角の始末は複雑で一番の難関。言葉にできません(笑)
底も縫い終ったら、ひっくり返し、ヒモをカシメで留めて出来上がり

こう書くと簡単ですが、まず裏返すと穴が見えない。慣れてくると簡単に通るようになりましたが、最初は穴はどこー!?と叫びたくなりました。それから縫い終りの糸の始末、ボンドを使って固定させる、のもコツが要る。糸が重なると切れやすいので、重ならないように丁寧に糸を動かして行くのですが、ついついえいやっとなってしまった。大丈夫だろうか。一番の難関だった底の角の処理は、言われるままに針を動かしただけで、結局覚えられず。それでも辛抱強く教えてくださったカロトさんと、物覚えの早い器用な参加者に助けられ、なんとか形になりました。世界でたったひとつの手縫いのバッグ。すごく嬉しい!

本体を縫い終って最後に肩ひもをつける作業。専用の器具でゆっくりと一つずつカシメを押して行くのですが、この作業が最後の静かな儀式の様で、何とも言えず感動的でした。

正直、思ったよりたいへんだったけれど、その分終ったときの充実感と言ったら!そして手元にはちゃんと使えるかっこいいバッグ。貴重な経験をありがとうございました。関係諸氏に心から御礼申し上げます!

ワークショップの休憩にはやまのはさんの美味しいカッフェが。疲れた脳みそと身体に染み渡りました。

包丁研ぎを学ぶ (2012.12.01 Sat.)

Photo by iPhone 4S

庖丁調整士、廣瀬康二さんに学ぶセミナー@ギャラリーYDS。予め廣瀬さんにお預けして歪みなどが調整された包丁を実際に研ぐ、という実践的なもの。私は結婚のお祝いに友だちのお母様にいただいた、この三月で23年の使用歴となる、菜切り包丁(安来、青紙鋼/八角の持ち手は、けやきに水牛の角)。手入れの悪さが露呈して恥ずかしい限りだが、これを機にちゃんと研げる人になろうとセミナーを申し込んだ。

調整をしていただいてわかった衝撃の事実。和包丁は中子と呼ばれる部分が木の柄に差し込まれた構造をしているが、私の包丁は曲って差し込まれていたとのこと。ときどきそう言うものがあるというお話しでしたが、日本橋の名のあるお店のものなのになぁとちょっとショックを受ける。それにしても、一目見てそこまで見極めてしまう「庖丁調整士」、おそるべし!

まずはレジメを見ながら廣瀬さんのお話を伺い、次にデモンストレーションで動きを実際に確認後、それぞれ受講者がマイ包丁で順に実践。聞くだけ見るだけでは、そのときは分かったように思っても、いざ自分でやる段になると「あれ!?」となってしまうので、レクチャー+実践はとても有り難い。以下、覚え書き。
【日々の「守り」(もり)】(「守り」とは愛情を持って手入れをすること)
●水分と汚れを取るために使っている最中も布巾などで拭きながら使う
(そう言えばプロの方はこの仕草をよくしていますよね)
●その日に使い終った包丁はクレンザー等で汚れを磨き落とす。このとき柄もよく磨く。(柄の部分から食中毒なりやすいそうだ)洗い流して乾いたタオルでよく拭き、乾かす。(収納場所はシンクの下は湿気があるのでよろしくない)
●毎月一回中砥石(800?1000)で軽く研ぐ(日々ちゃんと「守り」をしていればこの程度の研ぎで十分だそうだ)
●1?3年に一度信用のおける専門店でメンテナンス
【研ぎ方】
●砥石は使用前に20分水に浸ける。砥石で研ぐのではなく出てくる泥(砥石の粉と鋼の粉が混じった水)で研ぐ。ゆえにこの泥を洗い流さないように。砥石が乾いてきば場合にのみ水を少しかける
●必ず表裏同数で(ただし慣れるまでは裏側を+2回)
●刃を三分割(長いものはもっと細かく)して研ぐ
●表を研ぐとき、包丁と砥石が交わる角度は、包丁から手・腕が一直線になる角度、25度から30度
●裏を研ぐとき、70度から80度
●必ず押し研ぎ(押すときに力を入れ、押して終る)グリップは小指に力を入れる。そうすることにより手先ではなく肘で研げる
●刃の角度
・両刃:表裏共に15度(ステンレスは30度)
・片刃:表、刃の角度に合わせる 裏、平らに押し付ける
●カエリ(刃先のまくれ)が出ないのは研げてない。カエリが出たら
・片刃: 表はカエリが出るまで延々研ぐ。裏は必ず10回(以上でも以下でもない)
・両刃:両面同じ回数(三箇所×5回 このとき砥石に水をかけながら。だいたい3セットでカエリが取れる。取れなければ回数を増やす/仕上砥石の場合は水をかける必要はない)*ステンレスは仕上砥石をかけてはいけない

その他、包丁を使う前はまな板と包丁の柄も濡らす。特に「包丁の柄を濡らす」というのは目からウロコ。そうすることによって和包丁の中子がぎゅっと収まる構造になっている。ここでも、力づくではなくて「その性質」を生かした造りになっているんだなぁ。和の世界は本当に素敵だ、と感心しきり。あと、使いやすい包丁というのは適当な「重さ」があって「バランス」がよいもの(グリップにバランスの軸がくるもの)。軽い包丁はかえって使いにくいのだそうだ。確かに!

ぼろぼろと目からウロコ、目からハム(イタリアではこう言う)な一日。無くてはならない日々使う道具なのに知らないことも多かった。本日覚えたことを忘れず活かして愛情を持って使っていこう。美味しい料理も切れ味バツグンの包丁があってこそ!


 

地獄の沙汰も金次第!? (2012.09.18 Tue.)

今マイブームは地獄(笑)地獄と言えば子供の頃、年に一度母の実家が檀家になっているお寺さんで地獄の絵を見せられた。それはそれは怖い場面がそれぞれお軸になっていて本堂にずらっと掛けられていた。地獄が存在すると信じていた訳ではないけれど、閻魔様が鏡で私たちの行いを見ているとか、ウソをつくと舌を抜かれるとか、心の片隅にはいつもあって、もちろん子供ながらに悪いことはするのだけれど、本当に悪いことはできなかったというか、ブレーキがかかっていたように思う。半世紀を生きた今でもそれに変わりはなく、大きく道を踏み外さずここまで来られたのはあの地獄の絵を見せられたことが大きかったのではないかとさえ思う。だから今のお母さんたちも子供に、それも小学校の低学年から、地獄の絵を見せるべきではなかろうか。

さて、その地獄。そうは言っても知らないことだらけ。そんな地獄を最近は漫画で楽しく学んでいる。その漫画はモーニングに連載中の『鬼灯の冷徹』。これ本当に面白いです。ときどき外すこともあるけれど(笑)この漫画で獄卒十王を詳しく知ることができました。

そして最近マイブームに呼応するように受講している講座でも地獄がテーマとなる。その講座は茶の湯同好会主催の『欠伸会-江月和尚の語録に学ぶ』(講師:芳澤勝弘先生)。江月和尚の賛を読み解いて行くものですが、今回のテーマは地獄が描かれたお軸に書かれた和尚の賛。なんとタイムリーな(笑)

講座の内容はここでは割愛。地獄についてざっと覚え書き。まず地獄の数は136。そしてそこへ行くかどうかの裁判を受けるのは悪人だけではなく、すべての人、だそうです。そして十王(良く知られる閻魔様はこの十王の内のお一人)が小巻(いわゆる閻魔帳)を開いて審問を行う。この小巻は罪福簿、功徳簿とも呼ばれ、悪だけではなく善も記録されている。記録するのは倶生神(クショウジン)。人が生まれたときから左右の肩に取り付いている男女の二神で、男神を「同名(ドウミョウ)」、女神を「同生(ドウショウ)」と言い、男神が善を女神が悪を記録するとか。

本当にあるかどうかわからない地獄ですが、もしかしたらあるかも。今からでも遅くはない(かも)。善行を積みましょう。そしてそれを同名様に書き留めてもらいましょう!と思う私です。

参考文献:茶の湯同好会主催『欠伸会-江月和尚の語録に学ぶ』(芳澤勝弘先生)2012年9月14日資料