Neive 3日目 (2024.07.20 Sat.)

夜半にすごい雷雨があったようだ。私は夢の国(笑)そのおかげか湿度が低くなり少し涼しくなった。勇気を得てBarbarescoまで歩く。Baroloへは足を運んだことがある。次の機会(2004年秋)に今回はバルバレスコ村へと思ったけれど早朝にバスが一本あっただけで行かれなかった。20年越し今度こそ!である。濡れ手拭いを首にまき、いざ出発。途中野生の勘で葡萄畑を突っ切る。見事ショートカットに成功。バルバレスコ村では結婚式に遭遇。Nシェフに教えてもらったトラットリアへ。しかしこの結婚式の披露宴が行われるため貸切。残念! でも幸せを分けていただいたのでよしとする。Nシェフからは日本人が経営しているワインバーもあると教えてもらった。そちらで泡、白を楽しんで、バルバレスコ村を後に。ご店主は不在だったが、日本女性スタッフと楽しくおしゃべり。広場に掲げられていた横断幕で、ツール・ド・フランス(le Tour de France )2024がイタリアで開催されていたことを知る。パリオリンピックの影響とか?(後で調べたら周期的にフランス国外を大会のスタート地点に設定してきたそうだ。なんでも主催者側に“したたかな”戦略があるそうです。by ダイヤモンドオンライン。その戦略については有料記事のため未読で分からず・苦笑)

夜は、宿の一階でアペリティーヴォをしてから、ベネデッタさんに教えていただいたRistrante Cantina del Rondoで。私たちが降車すべきだった停留所の近く。お聞きしていた通り、シンプルなお料理で重くなくすべて完食。

小さな可愛い村とも今日でお別れ。明日はアルバ経由でトリノへ。

Neive 2日目 (2024.07.19 Fri.)

毎日晴れて暑い。晴れは有難いし、ニッポンはもっと暑いはず、と奮い立ち、葡萄畑を両脇に見ながら、少し歩いてみた。日陰がない。降参。村外れの墓地まで来てすごすごと引き返す。戻って(宿の一階とは別の)エノテカ&バールで一休み。この界隈でこんなにたくさんシャンパーニュ方式の泡が作られているなんて! アペリティーヴォと聞かれて、はいと頷くと無料おつまみが出てきた。コップにグリッシーニ、プレートにトマトのブルスケッタ、サラミ、チーズ。これだけでランチになってしまいそう(笑)宿に戻って一階で、またも飲む。あちこちでグラスでちょこちょこ地元のワインを飲めるのが楽しい。すっかり気に入ったAntipasto Piemontese(Giardiniera)をオーダー。今回もごきげんに、それぞれ泡と白。こちらのスタッフはワインに精通していて感じも良く花丸。そうそう、昨日リストランテをお尋ねしたとき、1番のお勧めは今日お休みだから、とおっしゃっていた。今宵はそこへ行ってみよう。名前を再度お聞きしたら「予約してきますよ」とぴゅっと青年。飲んでいたらもう一人の女性スタップに予約が取れたと連絡が。ありがとう!! 毎日こう暑いと私たちの大好きな「遠足」も叶わず、小さな村なので、すでに歩き回ってしまったし、飲んで食べる、しかないのでありますよ(笑)

さて今宵のお店La Romatario、青年の顔を潰してはと、一枚だけ持参した腕を出すドレスを着用。欧州は夜は肌を露出するのがマナー。他の女性たちもほとんど腕を出したロングドレス。着替えてよかった。男性はさほどドレスアップしていないけれど。食事を初めてほどなくしたら、予約を取ってくれた青年がやってきた。私たちのテーブルをチェック。ワインをチェック。うんうん、いいワイン飲んでるね、と満足げ。どうやら彼もこちらでお食事のようです。一緒のご夫妻はご両親様からしら。お父様と思われる男性が瓜二つ。後でお聞きしたらピンポン、でした。夏はテラスで、がこちらの流儀(私たちは中に座りたがりますが・笑)。そしてこのお店はこの期間テラスのみの営業のよう。雰囲気は良いのですが、蚊にはまいった!虫除けスプレーで対抗するもとき遅し。しっかり刺される(涙)今夜はセコンドのうさぎちゃんまでいただいて、さらにドルチェ、グラッパまで。段々と調子が出てきたようです(嬉)青年のイチオシだけあって、村いちばんという立ち位置の、それでいてフレンドリーなとてもよいお店でした。

GenovaからNeiveへ(2024.07.18 Thu.)

ジェノヴァからアスティまで列車に乗り、そこから先はバスに乗り換えてNeiveまで。なんと列車が途中で止まってしまった。乗務員が慌ただしく後方へ向かっていく。何かあったのだろうか。なんだかきな臭い。と思っていたら乗務員がやってきて窓を閉め始めた。えっ、車両火災!? と驚くが、他の乗客の皆さんは涼しい顔。地元の方の他に私たち以外の観光客も乗っていたけれど、皆さん慌てる様子もない。しばらくして列車は動き出した。ほっ。しかしその分遅れたので、予定していたバスには乗り換えられなかった。念の為とタクシーの運賃を伺う。パス(笑)バス停で時間を調べていたら青色FSのバスが来た。先ほどのタクシーが通りかかり「それそれ、それだよっ」と私たちを促す。いやこんなに早く次は来ないはず。訝しく思いながらバスの運転手さんにお尋ね。やっぱり違ってました。イタリア、変わってないね(笑)バス乗り場近くのバールでビールを飲みながら次発を待つ。小一時間待って無事に乗車。しかし、一つ前のバス停で誤って降りてしまい*、荷を引きながら坂道を倍の時間歩くことに。しかもめっちゃ暑い(涙)ようやく宿泊場所に到着。宿の一階がエノテカ&バールになっていて、今日は宿主のベネデッタさんは不在だけれど、ここのスタッフに諸々申し渡してあるからと事前に親切なご連絡をいただいていた。その通り問題なくチェックイン。安堵安堵。宿は築300年程度のパラッツォを改装したもの。とても素敵。小さな村でのんびりよい滞在になりそうです。

荷解きをして一息ついたらさっそく一階で、飲む。泡と白、バルバレスコの熟成と若いものの飲み比べ。Antipasto Piemonteseというカポナータに似た野菜の煮込みが美味しい!! ワインを頼むとついてくるクラッカーとノチョーラも、気が利いている。

夜は、教えてもらった“Uomo”へ。予約をしていなかったけれど、なんとかテーブルに。人気店。炭火焼きのグラスフェッドビーフが評判のよう。しかし残念、パスタしか食べられず。ワインは一本。今宵はBARBERAな気分。お勧めをお聞きして選ぶ。ワインは、まず残すことはない。足りないことはあっても(笑)さすがワインの聖地、ピエモンテ。小さな村ですが、ワインは大いに愉しめそうである。

*今回の宿、Al Palazzo Rosso Boutique Hotel Neiveの最寄りバス停はNeive Rondo。そのため鉄道駅の最寄り駅AlbaからでなくAstiからバスに乗った(Astiからのバスはここに停まらない)。にもかかわらず間違って一つ手前のNeive bassoで降りてしまうという失態(涙)

Genova 4日目(2024.07.17 Wed.)

“ジェノヴァの風景は変わらないけれど、わたしは…”

これまでに歩いたことのない地域を積極的に適当に(笑)前回は陣内秀信先生の「イタリア海洋都市の精神」(講談社)を頼りに歩いた。今回は久しぶりのイタリアということもあり、リハビリを兼ねつつのんびり確たる目的を持たず、野生の勘で(笑)

二日目(15日)にはルネサンス時代のパラッツォが並ぶVia GALIBALDI*を歩き、小高い公園を目指した。あれ? ここ来たことあるよね、と顔を見合わす。エドアルド・キオッソーネ東洋美術館 Museo d’Arte Orientale Edoardo Chiossoneだった。16年も前のぼんやりした記憶が突如鮮明に顔を出したり、今日は今日とて、これまで見たことのなかった遺跡が突然現れたり、ふと立ち寄った教会のオルガン**に目を見張ったり、と無計画ならではの楽しい街歩き。Mercato Orientaleのフードコートでお昼ご飯。2階にはリストランテが並ぶが、各国料理が並ぶ一階で気軽に。「鶏肉のレモン風味+ライス」に生ビール。この一皿がたいへん美味。素朴なお料理の方がやっぱり合っているようです(笑)夜は魚介を求めて港方面のお店、Da Leccarsi i BAffiへ。ここで“つきだし”として出された「Panisa Ligure」が大いに気に入る。セコンドのフリット、本日のお勧めの看板から「Fritto misto all’italiana」頼んだら、途中私たちの食べ具合を見たお店の方が、すごく多いわよ。少なくしますか?と声をかけてくださった。お言葉通りにそうさせてもらう。それでも食べきれなかった。フリットは大好きで、いつもだったらぱくぱく食べられるはずなのに、なぜだろう。美味しくないわけじゃないのだ。以前よりフリットが重たい? ワインは自然派の白(ピガート)。ミネラル感あり大好きなテイスト。お店の雰囲気も人々もとてもいいお店でした。

*Via GALIBALDIは元々はStrada Nuovaと言った。前述の「イタリア海洋都市の精神」には“ジェノヴァの中世海洋都市国家は、港のまわりのごくゆるやかな斜面地に高い密度で造られていたが、16世紀半ばに、この町の貴族・上流階級の人々の欲求を満たすべく、その外側に広がる高台の田園を開発して、ストラーダ・ヌオーヴァ(現ガリバルディ通り)と呼ばれるまっすぐな街路を通し、それに沿ってルネサンスの新しい高級住宅地を建設した。”とある(“”部分引用)この新天地にルネサンスとバロックにかけて造られた数本の街路と、その通り沿いに並ぶ「ロッリ」と呼ばれるリストに登録された当時の貴族たちのパラッツォ郡が2006年7月に世界遺産に登録されたこと、「ロッリ」と呼ばれるリストは厳選された大邸宅(パラッツォ)が登録されたもの。繁栄を続けたジェノヴァ共和国では、世界から訪れる来賓用迎賓館が必要となり、16世紀後半から17世紀初頭にかけて、新しい街路に沿って建てられた豪華な大邸宅を厳選しリストに登録させ(このリストが「ロッリ」)それらを国家来賓の宿泊先として法で制定した、ということも「イタリア海洋都市の精神」から教わった。

**オランダのイエズス会士ウィレム・ヘルマンス Willem Hermansが1657年から1659年にかけて制作したもので、1853年にカミッロ・グリエルモ・ビアンキ、1905年にリンジャルディ兄弟 fratelli Lingiardiによって修復された。写真に見られるように見事な彫刻が施された木製ケース付き(教会HP参照)
 

Genova 3日目(2024.07.16 Tue.)

Mercato Orientale1

Mercato Orientale2

Cappon Magro

本日のワイン今日はMercato Orientaleへ行き、そのまま、予約したオステリアへ。メルカートは、前回、ポルトフィーノに足を伸ばす折、駅までの道すがらで立ち寄り旅のお供にミカンとネクタリンを買った。本日はくまなく歩き回り、乾燥ポルチーニとシチリアはラグーサ産の乾燥ミニトマト(Bio)を400g買う。つまんでみたらすごく美味しい。自分では思い切ったつもりだったけれど、もっと買えば良かった。美味しいものはいつも同じ後悔です(笑)で、メルカート。真ん中が広いフードコートになっていた。サイトを見てみたら、2019年5月7日に現在の形がオープンしたそうだ。まだお昼の時間には早くバールとエノテカだけが営業。せっかっくなので、エノテカでプロセッコを飲む。それにしてもどこへ行っても市場は楽しい。

さてランチ。日本人シェフのお店OSTERIA SAN PIETROがあると情報を掴み、伺ってみることにした。開店時間の12時15分に予約。ぶらぶらと歩いて行く。かなり暑くなったのが悪かったのか、いじましく飲んだ泡がよくなかったのか、途中具合が悪くなる。せっかく気合いを入れて「今日は食べるぞっ」と予約をしたのに(涙)お店の近くに運良く木陰があり、しばらく休む。「治れ治れ」と祈りながら。この休憩が良かったようで、なんとか回復。サイトでメニューを拝見していて”OKONOMIYAKI”があって驚いた。お店に伺って話をお聞きしたら、シェフも接客をしてくださった方も京都の出身で、シェフのお祖母様が京都でお好み焼きのお店をしていたそう。もうお祖母様はお亡くなりになったそうですが、そのオマージュなんですね。手の込んだお洒落で独創的なお料理。ワインも豊富。万全な体制で臨めなかったのが少々残念。お勧めしてもらったビオの白ワイン、美味しくて印象的なエチケット。Ombrinaというお魚を覚える。