よりどころ(2020.03.04 Wed.)

今日は写真と違って雨。しとしとと冷たい雨。冬に逆戻りしたよう。こんなときこそ真価が問われる!と奮い立とうとするものの、鬱々としてしまう自分がいるのもまた事実。いかんいかん!こう言うときは古珠和尚さま(法林寺@たつの*)の「わたしの四弘誓願」を声を出して読む。弱気になったら「今日一日、今日一日、今日一日」、かっとなったときも「今日一日、今日一日、今日一日」、悲しくなったときも「今日一日、今日一日、今日一日」、すると「何があっても大丈夫」と和尚様の声が聞こえるのだ。この「わたしの四弘誓願」、独り占めはもったいない。何かのご縁でこのページにたどり着いた方のため、書き記します。*大徳寺の開祖である大燈国師の生誕の地と伝えられている

古珠和尚さまの「わたしの四弘誓願」:

 いろんなひとがいるけれども
 今日一日やさしい心でいよう
 いろんなことがあるけれども
 今日一日あかるい心でいよう
 この道は遠いけれども
 今日一日一歩すすもう
 何があっても大丈夫
 今日一日笑顔でいよう

四弘誓願、オリジナル:

 衆生無辺誓願度 しゅじょうむへんせいがんど
 煩悩無尽誓願断 ぼんのうむじんせいがんだん
 法門無量誓願学 ほうもんむりょうせいがんがく
 仏道無上誓願成 ぶつどうむじょうせいがんじょう

凡人に、これは到底無理だ(涙)修行を積んでも容易いことではないだろう。芳澤勝弘先生の言葉をお借りすると“この無辺、無尽、無量、無上という、実現困難と思える遠大な目標を、和尚さまは四つの「今日一日」に転換して示された”(大燈国師顕彰会会報「松籟」第15号より抜粋)ということになる。易しい言葉に言い換えてくださり、それでもなかなか実現は難しいけれど、とにかく「今日一日」ならなんとかできるのではないだろうか。今ここ、今日一日、過ぎた昨日でも来るかどうかわからない明日でもなく、今日一日。これなら、やってみよう、できるかも、という気持ちになる。そこが大切なんだろうと思う。

西村古珠和尚さま(1962-2020)は、一月十二日にご遷化されました。心よりご縁に感謝申し上げます。ありがとうございました。

天然なめこ(2020.01.10 Fri)

Photos by iPhone 11 Pro

今年はたくさんの新しいお出会いがあったシーズン。でも「なめこ」には会えなかったね、と話していた矢先、やぎが見つけてきました。幼菌ではなかったこともあり、スーパーに生えている(笑)なめことは随分違うそのお姿。最初は違うキノコだろうと判断。口にするのは一度は諦めましたが、手元の「山渓カラー名鑑 日本のきのこ」(山と渓谷社)等で精査したところ、間違いなくなめこであると確信を得、さっそくお味噌汁に。美味しい!

さて「なめこ」と言えばヌルヌルしているもの、と当たり前に思っていましたが、ふとそう言えばなんでヌルヌルしているんだろう。そしてこのヌルヌルの成分は?と疑問が湧く。調べてみたら、このヌルヌルは山芋やオクラなどのネバネバと同じで「ムチン」という物質だそうだ。ムチンは、糖とたんぱく質が結合してできた多糖類の一種で、胃腸や鼻など人間の体内にも存在し、肝機能・腎機能・免疫力を高める効果や疲労回復など多くの効能があるらしい。で、肝心のなめこがヌルヌルしているのは寒さや乾燥、ナメクジや虫から身を守るためだとか。天然のなめこは栽培物よりずっと粘り気が多く、見た目はクレームブリュレ。ずらりと並ぶその姿は壮観。そしてこのなめこは木材腐朽菌という菌で、森での働きにも目を見張るものがある。こちらに教わりました。

この一年はキノコなど菌類を知り大いに学ぶ年にしたい。

ミホミュージアム(2019.03.23 Sat.)

特製松花堂弁当Photo by iPhoneX

春季特別展「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい)」、20日の内覧会に続いて本日も足を延ばす。ミホミュージアム館長の熊倉功夫先生による看松会・特別講演「龍光院の茶の湯」を拝聴。看松会は龍光院で行われている熊倉先生による講読会。その看松会が美術館に場所を移しての開催。特製の「松花堂弁当」付き。まことに美味しゅうございました!そして熊倉先生のお話もとても興味深く、今日も今日とて充実の一日。しかし2回目にして未だ展示品の全てをとくと見ることは叶わず。また来なくては!

利休居士伝書(2019.01.27 Sun.)

予報通りこの週末は雪になった。大人しく自習と確定申告の資料作りとする。まずは自習。「利休居士伝書」を学ぶ機会があり、その復習から。「利休居士伝書」は、昭和初期に松山米太郎(吟松庵)が奈良の松屋父子が書き残したものを「茶道四祖伝書」と題して翻刻したもの。国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている「茶道四祖伝書. 利休居士傅書全」(昭和8年 松山米太郎 編)には“利休居士(千利休)傅書、三斎公(細川忠興)傅書、古織公(古田織部)傅書、甫公(小堀遠州)傅書、の四部の総題。(略)松屋会記の著者して有名な松屋源三郎久政、久好、久重、父子三代の筆記であって、云々”と書かれている。なお、この翻刻の底本は小堀宗中(遠州流8世)写本、とのこと。なお、1974年には「茶道四祖伝書」(松山吟松庵校註 熊倉功夫補訂)が思文閣出版から出版されている。

金地院見学 (2018.11.15 Thu.)

@金地院

鶴亀庭園@金地院

弁天池@金地院

明智門@金地院

石畳@金地院

@金地院Photos by iPhone X

週一で受講している仏教哲学の講義休講。その代わりに金地院見学というまたとない機会に恵まれた。学生さんたちに混じっての見学会。南禅寺塔頭の金地院は、いただいたパンフによると、“応永年間(1394~1428)に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺である。慶長のはじめ崇伝和尚が南禅寺塔頭に移建して現在に至る。”のだそうだ。崇伝和尚は“徳川家康・秀忠・家光の三代に亘って親任され黒衣の宰相として前後二十有五年間、その天分を傾倒し、江戸幕府創立の基礎を確立した名僧である。”と書かれている。天海和尚と共に歴史に登場するあの御方でございますね!

そしてこの金地院には前から一度拝見したいと思っていた「八窓席」と呼ばれるお茶室がある。このお茶室は崇伝和尚の依頼を受け、金地院に以前からあったものに小堀遠州が手を加えたものだそうだ。外観は柿葺の片流れ屋根。三畳台目で点前座と床の間が並ぶ形式。床の間と点前座との境の壁には墨蹟窓。驚いたのは躙口の位置。通常は端に寄せて開けられているのが途中に開いている。躙口を開けると畳のヘリが真ん中に位置する。貴人座と相伴席に自動的に分かれて入れるような工夫。将軍の御成を想定しての改修ゆえとのご説明。その他にもよく見ると様々な工夫が。小堀遠州おそるべし。なお「八窓席」と呼ばれるけれど実際の窓は六つ。多くの数という意味で八が使われているのか、改修されて八が六になったのかは不明だそうだ。

お茶席に加え、方丈、東照宮、鶴亀の庭園のご説明を伺った後、引率の先生からも建物を実際に見ながら建築様式についての詳しいご説明。学生さんたちに負けじと必死にメモを取るも、聞きなれない建築用語で頭がスパーク(笑)でも建築物の意匠から、建てられた年代など推測できるようになったら楽しいだろうなぁ。お寺さんをお訪ねする機会には恵まれているのに、いかにぼーっと見ていたことか。これではチコちゃんに叱られてしまいますね。これを機に寺院建築にも、もう少し明るくなりたい。