再び植物園へ (2017.04.12 Wed.)

昨日は雨にも負けず花冷えにも負けず、表千家北山会館主催の講座、“京都府立植物園の散策(二)「春爛漫の京都府立植物園」”へ伺った。講師は、京都府立植物園名誉園長、松谷茂さん。第一回へも参加してとても面白かったので今回も。例年だとソメイヨシノはすでに見頃を終えてしまっているけれど、今年は咲き始めが遅かったのでまだまだ見応えがあり、その後に続々と咲く八重紅枝垂、御衣黄、祇王寺祇女桜なども咲きそろい、見事。4月2日に続いての訪問で、またがらりと風情の違うお庭を堪能できた。植物園は本当に楽しい。

しかしこの大正6年に開園された植物園。幾度かの危機があったらしい。近年サッカー競技場の候補にあがったことは知っていたけれど、1945年(昭和20年)連合軍に米軍家族住宅地として接収され翌年園内各所に将校住宅が建てられ、多くの樹木が伐採されたそうだ。当初は京都御苑が進駐軍の住宅地の候補だったものをそれはいくらなんでもと植物園が代替地になったとか。1957年(昭和32年)ようやく接収解除、1961年(昭和36年)に再公開。桜も接収されたときほとんど切られたようですが、何本かの大木は伐採を免れたもの。歴史の証人、いや証木ですね。皆に愛される今の植物園からは想像できない苦難の歴史があった植物園。折々に存続に尽力された方々に感謝しこれからも足を運ぼう。

さて、昨日は生憎の空模様。主に温室でのレクチャーおよびフィールドワークとなった。天皇皇后両陛下がご来臨あそばされたときのエピソードもお聞きすることができたいへん楽しく有意義な時間。珍しい花や実も数多く見られた。「学び」って楽しい!あぁ、学生の頃に気がついていれば(笑)

「シダレザクラ」
1)花
・花の色:  白     淡いピンク     濃いピンク
・花の枚数:一重=5枚            八重:10枚以上
・開花時期:ほぼソメイヨシノと同期かやや早い ソメイヨシノの後
*野生の桜、エドヒガンの枝垂性を品種化したものなので、花はまったく同じ
*花の大きな特徴は萼筒の基部が膨れること
2)幹のライン
*ソメイヨシノなどの桜の幹は普通、皮目(ヒモク)の横ラインが顕著
*エドヒガン=シダレザクラの幹の下部は縦にシワが入る(横の皮目が目立たない)
(以上当日の資料より)

出汁 (2017.03.25 Sat.)

お稽古は、利休棚に透木釜。終えて表千家北山会館の公開文化講座「京の食文化〜私のこだわり〜」へ。講師は髙橋英一氏(南禅寺 瓢亭 主人)。瓢亭さんの一番だし(枕崎産まぐろ節)と家庭用の一番だし(かつお削り節)の取り方を教えていただき、それを使った「わりだし」の作り方と応用を学ぶ。すぐに実践できる内容でうれしい。関西は軟水で昆布が抽出されやすい、よって昆布だし。関東はその逆に硬水なので、かつおだし。なるほど!お水の違いも考慮に入れなくてはいけないのですね。目から鱗。「お料理は楽しくやらないと美味しくできない」という持論を持つ高橋さん。「出汁に力を入れてもらいたい」と強調されていた。固形や顆粒はなるべく使わないように、一手間かけたお料理がやはり美味しいのです、と。ユーモアもあってお話も楽しい。大阪の天王寺かぶらが京都で根付いて聖護院かぶらに、信州では根が退縮して野沢菜に、一汐ものを「ぐじ」生のものを「アマダイ」と呼んだ、鯖街道の終着点が「いづう」さんだった、などのこぼれ話もたいそう面白く。後半は、京料理の発展してきた道筋と、スライドで懐石料理についてご説明をいただき、茶の湯を学ぶもとしては大いに勉強になった。本だけではわからない細かなニュアンスなども理解できたのもありがたかった。

瓢亭さんにもぜひ一度伺わなくてはと思った次第。そして西陣のスッポン料理やさんにも!

友人制作のペン入れを持って。布は田中昭夫さんの正藍型染。すてきなお誕生日プレゼントで学びにも力が入ります。ぐっ。

ペン入れ

Photo by iPhone 6s

青磁・水仙盆 (2017.03.19 Sun.)

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ウグイス初鳴き。お昼を済ませて好きな美術館のひとつ、大阪市立東洋陶磁美術館へ向かう。お目当は、台北國立故宮博物院所蔵の北宋汝窯青磁水仙盆。昨年12月10日から始まり今月26日まで開催中の展覧会。何度か近くまで行く用事があったのに、うまく時間を作ることができず、よりによって三連休のど真ん中に。これまで並んだことなどなかったけれど、今回はチケット購入に列ができ、入場まで約30分程度かかるとのこと。NHKの日曜美術館で放送されてから関東からもお人がいらっしゃっているとか。とにもかくにも少し並んで無事に拝見することができた。入場制限をしてくださっているお陰で陳列されているお部屋はそれほどの混み具合でもなくじっくり鑑賞。展示されているのは汝窯青磁水仙盆5点(その内4点が故宮博物院所蔵、もう1点が東洋陶磁美術館所蔵)に清朝の皇帝が作らせた倣汝窯青磁水仙盆一点(故宮博物院所蔵)の合計6点。以下覚え書き。

北総の徽宗(きそう)皇帝が造らせた「汝窯」(じょよう)の青磁。北宋の滅亡と共に僅か30年で姿を消した。「天青色」と呼ばれる独特の色合いと肌合いを持つ。現在、この汝窯で焼かれた青磁は世界に90点ほどしか現存しないそうだ。確かに他のどの青磁とも違う透明感のある美しい色。会場には後の時代、18世紀に清朝の皇帝によって、汝窯の水仙盆を再現しようと景徳鎮官窯で焼かれた作品も展示されていたが、オリジナルと比べると別物と言わざるを得ない。

さて、名前。なぜ「水仙盆」? 検索してみると「水仙のような球根植物を水栽培するための盤」という説明が。しかし朝日新聞デジタルの関連記事には以下のような説明があった。

〈汝窯〉 中国・北宋(960~1127年)末期、河南省にあって宮廷用の青磁を焼いた窯。釉薬(ゆうやく)に希少なメノウの粉を混ぜた。生産期間はわずか約20年。汝窯に特徴的な淡い青色を出すのは温度調節が難しく、その後の南宋時代にはすでに「近ごろ最も得がたし」と言われるほど珍重された。1980年代後半から発掘調査が進み、2000年に窯跡が特定された。

 汝窯青磁の名品が多い水仙盆(すいせんぼん)は、清朝の全盛期を築いた乾隆帝(けんりゅうてい、在位1735~95年)が好み、乾隆帝の詩などから「子犬のえさ入れ」「猫のえさ入れ」とも呼ばれた。(以上太字は朝日新聞デジタル2016年12月6日より引用)

乾隆帝はとりわけ好んで賞翫した水仙盆の裏には自ら詠んだ詩を刻ませている。さすがは皇帝。やることが大胆です(笑)で、上の引用した記事にある「乾隆帝の詩」はその裏に刻ませた詩(御製詩)のことだと思いますが、それによると当時(乾隆帝時代)水仙盆には「狗食盆(子犬の餌入れ)」や「猫食盆(猫の餌入れ)」などの俗称があったことが分かるとのこと。しかし北宋時代における本来の用途はなお不明、と展示解説に。だいたい「水仙盆」という名称はいつからのものなのかしら?どなたかエキスパートにお尋ねしてみたいものです。さて、さらに乾隆帝は「青磁無文水仙盆」ともうひとつ覆輪のある「青磁水仙盆」には紫檀製に描金(蒔絵)が施された豪華な台座も作らせている。よっぽどお気に入りだったのですねぇ。

よいものを見せていただき、心豊かな気持ちになる。乾隆帝のお気持ちも、少なからず理解できた(笑)

寺子屋スタート (2017.01.08 Sun.)

新年もさっそく猛スピードで過ぎて行く(^^; うかうかしてはいられない。今日は寺子屋の日。一講座「ひとつ」しっかり覚えて帰ろうと思う。今日は「林羅山」を持ち帰ることに。

●林羅山(1583~1657) 名は信勝、通称は又三郎、道春。祖父・正勝は加賀の浪人、紀州で没しそののち一家は京都に移り、天正11年(1583)信時の長男としては四条新町で生まれる。13歳から建仁寺大統庵で学ぶが僧にはならず15歳で寺を出て帰宅。17、18歳の頃から朱子学に関心を深め、慶長9年22歳の時、吉田与一(角倉了以の子)の紹介で、時の儒宗・藤原惺窩(ふじわらせいか)に入門。22、3歳の頃には朱子の注釈による「論語」の公開講義を京都の市中で行う。慶長10年23歳の時、惺窩の推薦により家康に接近し、幕府に召し抱えられる。家康から、秀忠・家光・家綱まで四代に仕えた。明暦三年(1657)病死。数えで75歳。若い頃から仏教排撃の議論を振り回していたそうだ。著書に「本朝神社考」など。(しかし、江月や遠州と親しく交際していたらしい)

ロウバイ

和菓子セミナー (2016.10.23 Sun.)

2004年6月4日に受講したセミナーについて、KIMONO真楽というSNSの日記に書いていた。今月31日をもってサービスが終了されるので、こちらにお引越し。

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かな書を習っている大正大学の浜松町サテライト教室にて 「伝統の和菓子」というセミナーを受講する。お話は虎屋文庫の中山圭子氏。和菓子の歴史と魅力に ついて90分、語りとスライド。お茶を本格的に始めるまではまったく和菓子について愛がなかった私。だんだんその魅力が わかるようになり少し勉強をしたいなと思っていたときのタイムリーなセミナーだった。

例えば“羊羹”が羊の汁物の見立て料理とか“金つば”が刀の鍔を模ったもので、もともとは丸かった、と言った和菓子好きの人にはたぶんポピュラーなお話も私には初めて耳にするものばかり。

奈良平安時代に中国に留学した遣唐使が唐菓子を持ち帰り鎌倉室町時代に中国に留学した禅僧により点心(羊羹・饅頭)が伝来し、室町時代以降、ポルトガル人の貿易商や宣教師によって南蛮菓子(金平糖・有平糖・カステラ・ボーロ・鶏卵素麺)が伝えられ、そして江戸時代中期に大成された和菓子。それには平安貴族の衣装の色合わせ「かさねの色」に共通の美意識が織り込まれている。

今日のセミナーの覚え書き。
椿餅・草餅(オリジナルは母子草、3月3日に必ず用意、厄除け) ・亥の子・海老羹・コンフェイト(ポ、金平糖、日本は2週間、ポルトガルは5日から10日で作る)・ボーロ(ポ、お菓子の総称)・カステラ(ボーロ・ド・カステラ、スペインの菓子の意、それが短くなった)・かせいた(細川家伝来の菓子)・Marmelada*(かせいたの原形)・幾世餅・粟餅売り・飴売り・ふのやき(利休好み、クレープ状、中に味噌など)・友千鳥と色木の実(尾形光琳が虎屋に注文)・白と緑(菱餅のオリジナルカラー)・あこや、ひっちぎり(関西の雛菓子)・男重宝記(なんちょうほうき)・落雁(降りて来る雁)・参勤交代(地方での菓子の発達に寄与)

江戸の人々の色や素材での「見立て」のセンスには脱帽!

*2022.01.10追記:正しくはCaixa da Marmelada