スツール搬入(2022.04.25 Mon.)

縁側のテーブルに合わせてスツールを新調した。お願いしたのはテーブルを作っていただいた田中智章さん。ずっと手持ちの丸椅子を使っていたのが、お尻が痛くなりこれはもうダメだっと新しくオーダーすることにした。田中さんには本棚や食器棚などもお作りいただいているので、安心してお任せができる。メールで数回やり取りして座面の素材は革に決め(材はオーク)、田中さんが座面張りを依頼する村上椅子さんに出向いてサンプルを見てどの革でお願いするか決定。その折、座面のカーブも同じ型のものに座り確認。そして本日、村上椅子さんが、張り直しをお願いした他の椅子と共に搬入してくださいました。村上椅子さんも「痒い所に手の届く」お仕事ぶり。信頼してお願いができる方々が近くにいてくださるのは本当にありがたい。

以前は座面の硬さなどにそれほど留意していなかったけれど「大臀筋炎症事件」勃発後はずいぶんと神経質になった。大事なことは座ったときに骨盤がちゃんと立つことらしい。そのため座面の素材と硬さ、奥行き、床から座面までの高さなど慎重に検討すべきだ。そういえば昔、早稲田大学に出向いて最適な椅子の寸法を割り出してもらったことがあった。すっかり忘れていたけれどその時作成してもらったカルテを探し出してみた。今から20年前。カルテ制作者は早稲田大学区野呂研究室「チェアクリニック&デザインスタジオ」。確か被験者を募集しているのを何かで知って出かけたようにうっすらと記憶している。「自分の目的にあった最適の椅子の選定」としてオフィス、ダイニング、福祉用と解説があり、身体測定(身長、座高。下腿高、座位殿・膝窩距離)と体圧分布測定をした上で、私にとっての理想的な椅子環境がオフィス環境下、図で示されている。カルテ内の理論値が算出された式も載る。こんな大事なデータを仕舞い込んでいたなんて!次の機会には大いに参照しよう。ただし、仕事用の机と椅子は私専用なので理想の寸法にすることも可能だけれど、ダイニングなどはそうは行かない。とにもかくにも、理想的な椅子であっても同じ姿勢を続けることはよくないので、この点は大いに気をつけたい。つまり「落ち着きがない」方が身体にはよいことになるのだ。ふむ。

列車のお供(2022.04.06 Wed.)

今回のお供は写真の2冊。冷静に疑いの目を向ける、ということは難しいけれど非常に大事。その姿勢を忘れないように。「専門家」と呼ばれる人はあまたいるけれど、ウイルスのことはやはりウイルスの専門家にまずはお聞きしたい。というわけで昨年5月のこの本に続いて宮沢孝幸さんのご著書を。最初の頃に「マスク」の意義についても喧喧諤諤だった。今でこそほとんどの人がマスクをしているけれど、その頃は、マスクは効果がない、あったとしても飛沫を飛ばさないという役割だけだ、などと「専門家」と呼ばれる人までもしたり顔でおっしゃっていた。出さないなら入れないんじゃない!?と、初めから私は不織布のマスクをかけていた。元々花粉症でマスクに馴染んでおり、しかも最初の流行が花粉の時期と重なっていたことも要因ではあるけれど。そんなマスクの正しい知識もウイルス学がご専門の水谷哲也さんの著書「新型コロナウイルスー脅威を制する正しい知識」で学んだ。ほーらね、と私もしたり顔で膝を打ったものである(笑)

もう一冊は、大好きな江戸時代にタイムスリップできるもの。しばし何もかも忘れて没頭する時間もとても大切。とくに胸が潰れるようなニュースが多い時はなおさら。

和菓子が来た道第2回(2022.01.08 Sat.)

3回連続講座の第2回。「砂糖の通った道ー江戸時代のシュガーロード*と菓子文化ー」と題して本日は北九州市立大学の八尾啓介先生ご登壇。「シュガーロードとは何か?」「南蛮菓子とは何か?」そして「まとめ 和菓子としての南蛮菓子」という流れ。盛り沢山の内容。ついていくのがたいへん!(笑)

砂糖は薬として8世紀に入って来た。室町時代末ごろには、西洋や中国との貿易で流入。長崎で荷揚げされ、船で大阪(堺)へ。そこから江戸、そして全国へ。一部は御用砂糖として御菓子屋へ、と言うのが本道。その他、貰砂糖(→地役人・遊女)溢砂糖(→荷揚げ日雇い)から仲買への間道あり。長崎の警備を隔年で担っていた佐賀藩・福岡藩には買付特権あり。全体のおよそ5%から10%が大阪に運ばれずに長崎街道周辺で流通。

イギリスでは産業革命後、ホワイトカラーとブルカラーの砂糖の消費量が逆転しているそうで、日本でも同じようなことが起きているのでは、という仮説に立ちリサーチされたくだり(明治6年から昭和13年)もたいへん興味深かった。確かに炭鉱がある場所にお菓子屋さんが創業されている。数多くの人が集まったので、その方々が贈答用にしたのか、それとも炭鉱で働く人たちの口に入ったのか。どちらの可能性もあるのだろうと言うお話だった。

「南蛮菓子とは何か?」の中では、常々疑問に思っていたMarmeladaに遭遇。Caixa da Marmeladaで日本では「かせいた」と呼ばれる。これは以前虎屋文庫の方にお話を伺ったときにも出て来たお菓子だった。Marmeladaはマルメロ(セイヨウカリン)のジャム。マーマレードの語源と言われていますが、元々はマルメロのジャムを指すようです。なぜそれが柑橘のジャムを指す語になったのか。英国で変身を遂げたという説を読みましたが、ストーリーが複雑で(苦笑)ちなみにMarmeladaはギリシア語で〈蜜のリンゴ〉の意のメリメロンmelimēlonから派生したそうです(世界大百科事典参照)そのマルメロ/marmeloは江戸時代に渡来。

Bolo(ぼうろ/菓子の総称)の一種類だと思われるスライド写真が子供の頃に食べていた「甘食」にそっくり!これもポルトガル由来のものなのか!?調べてみたところ諸説あるようですが、私はポルトガル由来に一票。

そして今回はなんとお年玉(有平糖/紫野源水製)付きでした(嬉)

*“シュガーロード”は2020年に日本遺産に認定。

和菓子が来た道(2021.12.18 Sat.)

予報通り目覚めたら雪。初雪となりました。楽しめるほどの量でよかった。今日は、和食文化連続講座「和菓子が来た道」(京都和食文化研究センター主催)の第一回。会場の京都府立京都学・歴彩館大ホールへ。初めて入りましたが立派な施設。本日は「米飴のはなし」で母利司朗先生(京都府立大学文学部教授)と佐藤洋一郎先生(京都府立大学文学部特別専任教授)の講義の後、お二人の討論及び質疑応答、という流れ。母利先生は「江戸時代の古典籍の中の飴・水飴」という切り口でのお話。佐藤先生からは「甘味のいろいろ」というタイトルでお話が。今の水あめは大麦製(麦もやし)、しかし麦を米に変えても同じメカニズムで水あめができるはず、との観点から行われた実験のレポートが特に興味深かった。

文献には「米もやし」が載るのに、「米もやし」が消えたのはいかなる理由か。今も「米もやし」で水あめを作っているところはないか。“米もやしの水あめを探せ”というのが今日の講義を通じてのミッションでした。帰宅して、あれこれと検索してみたら、ありました!すぐに先生にお知らせをした。何かしらの進展がありますように。

覚書:
・たじまもり(田道間守)=菓祖神
・しとぎ(粢)=水に浸して柔らかくした生の米をついて粉にし、それを水でこねて団子状にしたもの。神饌に用いる

美術館三昧(2021.12.05 Sun.)

やぎと連れ立って岡崎へ。細見美術館のち京都国立近代美術館。「虫めづる日本の美-養老孟司×細見コレクション-」視点もユニークで面白く堪能。初めてお茶室も拝見。近代美術館の「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」。テキスタイル好きなのに雑誌で展覧会の特集を読むまで、迂闊にもまったく存じ上げませんでした。ウィーンは一度訪れたことがある。一度だけ、それも数日の滞在だったけれど、よく覚えている。当時の日記には「ウィーンは落ち着いた印象で、人も町もどこか素朴さを残していて歩きやすい」と綴られていた。それにしても、なんてすてきなの!どれもこれも素敵でくらくらする。そのまま着物にしてもいいのではという図柄も多いと思ったらそれも道理、着物の染め型紙が大きな影響を与えていたらしい。会場の説明パネルに、以下のような説明があった。

“1900年前後のウィーンで、新しい芸術の在り方を模索する人々の注目を集めていたのが、日本の美術・工芸品でした。ウィーン工芸学校で教え、ウィーン工房を立ち上げたヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーも、自らの教育・制作活動に日本の芸術作品を熱心に参照しました。その中でもよく知られているのが、オーストリア応用芸術博物館に約8000点収蔵されている日本の染型紙でしょう。”(“”展覧会サイトより抜粋)

七宝のデザイン&小箱にもうっとり。だめだだめだ、素敵すぎる!!