ヤリイカ(2024.11.13 Wed.)

ヤリイカ活造り嬉野温泉から往路同様バスにて博多に戻る。Mちゃん&Kさん夫妻とランチの約束。Mちゃんが予約してくれたのはヤリイカ活造りが食べられるお店。ヤリイカといえば佐賀県の呼子だそうですが、博多にも食べさせてくれるところがあってそちらで集合と相成りました。平日の昼間にも関わらずKさんもご一緒してくれて楽しく美味しい時間を過ごす。ちなみに一昨年は水炊きをつつきました。それにしてもヤリイカの透明度がすごい! そしてとても美味!! これまでずっとタコ派でしたが、鞍替えしそうになりました(笑)

Mちゃんはいまや受験生の母。Mちゃん&Kさんの娘ちゃんがあれよあれよという間に中学3年生になってしまい、来春は高校受験だそうだ。京都の我が家に家族揃って遊びに来てくれたときはまだちっちゃい女の子だったのに。月日が経つのはなんて早いのだろう。

がんばれ!!>受験生 がんばれ!!>受験生のお母さん そしてもちろんお父さんにもがんばっていただこう(笑)また来年。元気にお会いしましょう。その前に”グッドニュース”をお待ちしております。

嬉野温泉(2024.11.12 Tue.)

前回2022年は武雄温泉へ足を伸ばした。美肌の湯。そして美肌の湯と言えば、嬉野温泉もある。武雄温泉の方々は「美肌の湯は武雄」ときっぱりおしゃっていたけれど、やはり自分の肌で感じないと。というわけで今回は嬉野温泉。アクセスはバスを選択。列車で行きたいところでありますが、嬉野温泉はちょいと行きにくい。というわけで高速バス。

さてお宿は高台に経つ洋館風。イタリア料理という点にも惹かれて。チェックイン時にドリンクのサービスがあり、スパークリングをいただいた。嬉しいサービスです。さてさて、美肌の湯対決はどちらに軍配が上がるのか。さっそくお風呂へ。ぬるっとしたお湯でなかなか。しかし「犬の鼻を持つ」私はあることに気づいてしまいました。というわけでお湯は武雄温泉に軍配が(個人的見解です・笑)

お湯と共に楽しみにしていたお食事。イタリアの郷土料理ではなく創作料理の範疇に入ると思いますが、地元の食材が使われ美味。そして昨夕ワインバーのご店主からお聞きしていたワインがオンリストされている、という素敵な偶然も。サービスも行き届いていて「食事をメインに」という利用の方が多いようにお見受けしました。というのもお風呂で他の方とほとんどご一緒せず(笑)

そうそう、予約の日にちを一日間違えていた、という大ポカ。昨日の昼間に気付き、あわててお宿に連絡を入れた。運良く空いていたようで、一日スライドをしていただき事なきを得る。お優しい対応に心から感謝。

ぴゅっと福岡(2024.11.11 Mon.)

マイレージでのつもりが、なんと不足! あわあわとあわてて安いチケットを探す。「スーパーバリューセール」で、まぁこれならというチケットを確保。ぴゅぴゅっと福岡に飛び、空港でお昼を食べて、ホテルに移動し一息ついて大相撲九州場所へ。一昨年についで2度目の九州場所。一昨年は正面解説が御大(北の富士さん)だった。北の富士さんの解説をお聞きするのもお姿を拝見するの大相撲の大きな楽しみなので、ガラス越しではありますが目と目が合ってご挨拶できたのがとても嬉しかった。

取組はちゃっちゃと決着がつくのに内容は非常に濃い。本当に面白い。神様がお喜びになるはずです。

今回も大いに楽しんで、大満足で会場を後に。お昼がとてもボリュームがあったので(博多流!?・笑)ホテル近くのワインバーへ。美味しいチーズとフランスワイン、そしてご店主との会話を愉しんで博多の一日が終了。

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2024/11/21追記:北の富士勝昭さん死去のニュースが飛び込んで来た。お元気になられて復活してほしいと切望していたが叶わず。残念無念。寂しさが募ります。

Nantesあとがき(2024.08.01 Thu.)

パリオリンピック、サッカーの試合を観戦、という目的の為に8泊という滞在になった。欲張らずに街をゆるゆる愉しんだ。それで見えてきたこともある。一番印象に残っているのは、助けを必要としている人自身が、近くの人に助けを求めること。ある日のトラム。座っていたご婦人が近くの女性に声を掛け、トラムを降りるのを助けてもらっていた。声を掛ける方も掛けられた方も、いつものこと、といった風情で。あるとき私も年配の女性から声を掛けられた。通りを渡るのに手を貸して欲しい、というリクエスト。喜んで腕を出した。声をかけるべきかどうか、悩むケースも多いので、手助けが必要な方が自ら声を発してくれたなら、悶々と言うこともない。それが極々自然に普通のこととして遭遇する機会があったナント。もう一場面。空港に向かうシャトルバス乗り場。券売機で四苦八苦している日本人男性と思しき方。周りにいた方々が代わりばんこに声をかける。「バスの中でも支払えるのよ」と。普段は他人のことなど我関せず。でも困っている人にはアテンション。日本では逆のケースも多々あって、苦々しく思うことも増えてきた。以前はイタリア馬鹿で、フランスのことはさほどでもでなかったけれど、気がついたら随分と好きになっていた(笑)ナントの街も、昨秋訪れたときは「二度はない」と思った場所。それがサッカーに、なでしこに導かれ、再び来てみたら意外や意外、好きな街に。三度もあるかも、と思うくらいに。いやはや、面白いものである。

ふたたびなでしこ(2024.07.31 Wed.)

私たちの本命は“なでしこ”です。きっぱり(笑)予選リーグ最終戦の相手はナイジェリア。昨日よりはましだが今日も蒸し暑い。チケットはいつの間にかしれっと普通の席になっていた。やはり「あれ」は間違いだったのだ!! 今日はナント最終日。心置きなく楽しもうと、まずは植物園のカフェでランチ。予約はしたし、とるんるんと出かけてみると予約は取れていなかった。リクエストが送信できたので、戻ってきたレスポンスもOKとばかり思っていた。思い込み、早合点、からきしのフランス語ゆえか(大泣)先日ティータイムでお寄りしたときに、お客さんが食べていたムール貝が美味しそうだったから今日はそれ! と意気込んでいたやぎ。申し訳ない。今度来たとき(3回目はあるのか!?)にリベンジしよう。それでは夜にと思っていたバスク料理店へ。悪くはなかったけれどバスク料理、なのかしら。バスクへ行ったことがないからわからないけれど(笑)

今日のゲームは午後5時スタート。このスケジュールだと終わってからレストランへ繰り出せるのがありがたい。今宵はなでしこの動きがいい。安心して見ていられる。美南さんがゴールを決めて良かった。千葉さん、一本くらい決めて欲しかった(笑)取られた一本はパスミスから。結果は3対1で決勝トーナメント進出決定!! 今日も蒸し暑かったけれど、風が吹き抜ける場所を見つけて移動。昨夜よりも楽な観戦となった。

やぎ観戦記はこちら

ホテルに戻り、シャワーを浴びてすっきり。お祝いに老舗の魚介類のお店へ。予約はしていなかったけれど、運良く席につけた。今日も牡蠣(笑)お祝いだしシャンパーニュを奮発することに。ギャルソンが「個人的に一番好き」というものにする。こちらの店名は「蝉」。壁の装飾タイルもセミ。白いチュチュを着たセミやマンドリンを肩にかけたセミなど。やぎはセミには見えないと言うけれど。この辺りにはセミは生息していないはずなのに、なぜセミ!? その質問をギャルソンにぶつけてみると、広場をはさんで真向かいに建つ劇場のダンサーに由来する、との説明。劇場のダンサーチームの名前がLA CIGALEで舞台が跳ねた後によくお店に来ていて、云々と。でもそれだと昔は違う名前だったってこと? ふむ、これは要追跡調査。お隣に日本人のご家族。30年前にナントに住んでいたそうだ。そのときは日本料理屋さんも一軒のみ。今は20軒はあるとか。今回お使いの航空キャリアのことなどお聞きしたり、こちらからもお勧めの場所をお話ししたり。こういうお出会いも旅のお楽しみ。お勧めの泡はものすごく美味しかったし、お魚料理もよくて、大満足。外観も可愛らしいお店で、気になっていたので、訪れることができてよかった。植物園のカフェに振られたお陰。カフェでランチを取っていたら、夜にバスク料理店へ行くことになりここへは来られなかった。

さて、1895年創業のブラッスリー、LA CIGAL。ナント出身の建築家、陶芸家、水彩画家であるエミール・リバウディエール(Émile Libaudière)の設計。彼はプロジェクトを実現するために、彫刻家のエミール・ゴシェ、画家のジョルジュ・ルヴロー、装飾家・椅子張り職人のルイ・プレオベールに協力を仰ぎ、技術とノウハウを結集させたそうだ。そして店名LA CIGALは、この設計者が “ラ・フォンテーヌの寓話に登場するセミ” をモチーフにした装飾に由来する、らしい。ときはアール・ヌーヴォー真っ盛り。そしてこのブラッスリーはすぐに大成功を収める。貴族やブルジョワたちが、グラスラン劇場の女優やダンサーたちと戯れるためにこの店に集まり、少しづつナントのあらゆる人々が店内を占拠するようになった。ビジターブックには数多くの芸術家たちの賛辞の言葉も。1943年9月の大空襲も耐え抜き、1964年に歴史的建造物に指定されたが、浮き沈みあり。セルフサービスのお店に改装され、より民主的になり空席がなくなることはなかったが、内装は維持されず、ピンボールマシンが陶器を隠し、人々はジュークボックスから最新のヒット曲が流れる店内にスクスを食べに来た、とある。1977年に新しいオーナーが引き継いでから、修復作業が始まり、1982年に支配人のヤニック・カーティと共同支配人のミッシェル・パヴァゴーが「ラ・シガールを四季折々に歌い継がせる」« refaire chanter la Cigale à toutes les saisons»ことを決意し、創業当時の輝きが取り戻され、今に至るとのこと。以上こちらのページ参照。