《基層文化を映像にみる》(2024.03.24 Sun.)

“写真は本文とは関係ありません。新潟繋がりの一枚”

第一回上映会『越後奥三面ー山に生かされた日々』(145分 2023年デジタルリマスター版/16ミリ現版 1984年)に縁あって寄せていただいた。奥三面は新潟県の北部、山形県との県境にある朝日連峰の懐深くに位置。平家の落人伝説を持ち、また縄文遺跡も残る歴史の古い山村。その奥三面を、記録映画作家・映像民俗学者の姫田忠義率いる民族文化映像研究所が、1980年から4年間にわたり、人々の生活を四季を通じて追い、ダム建設による閉村(1985年秋)を前にした人々の想いをつづった記録だそうだ。大いに興味を惹かれ、出かけた。私が20歳から24歳までに撮影された記録映画なので、私の中では遠い遠い昔ではない。けれど、映像に映し出されている暮らしは、今となっては多くが失われているのではないだろうか。雪が根雪になった真冬の作業でも大人たちは手袋をしてないし、薄着、である。やることは実に多い。けれど皆、朗らかな笑顔で楽しそうである。子供たちもしかり。頭を使い、身体を使い、知恵を絞り、助け合って暮らす。神に祈り、己を律して自然と向き合い、収穫に感謝し、日々を送る。もちろん悲しみも苦しみも面倒な事柄もあるのだろうけれど、一人一人の中に「生きる」ということの、大きな柱が一本自然に備わっている、というようなことを感じた。よい意味での図太さ。頭でっかちではなく、心でっかちな人々。思い返せば、子供の頃には私の周りにも、そういう大人たちがいたように思う。“余暇”はすばらしいものを生み出す時間にもなるけれど、今の私たちには“余暇”が多すぎるようにも思う。そんなことも考えた。そしてこの映画は、私の生きる指針の一つになった。何かで足が止まったとき、何かを煩い心が塞いだとき、呪文のように「頭を使い身体を使い… 」と繰り返し、こんがらがった思考をリセットして、生活をシンプルに引き戻す。ずっとずっとこの映画を心に抱いて、暮らしていこう。

移転した村人たちが、移転先でも幸福であっただろうか。山から引き離されても、心でっかちを大いに発揮して幸せであったと思いたい。そんな思いで調べていたら新潟県のページ「旧三面集落の暮らしと移転」に移転先などの情報がありました。ほとんどの方が移転した先の住所には「三面」の文字も!