修学院村(2024.01.20 Sat.)

修学院離宮の手前に立派な蔵が。窓などの意匠もすてき。思わずパチリ。この辺りには蔵がたくさんあったのに、ここ20年ほどで随分と少なくなった、と聞いた。立派な古い家屋もあるので、今度あらためてこの辺りを歩いてみようと思う。俄然「修学院村」が気になってきた。検索してみたら「紙飛行機 こちら校長室 平成20年度2月号」というPDFがヒット。平成21年2月20日発行、京都市立修学院小学校のもので当時の校長先生(伊藤喜昌さん)が書かれた文章「修学院小学校の歴史について(続き)」に“昭和6年4月京都市に編入されて,左京区修学院となるまでは,修学院村(修学寺村とも言う)・一乗寺村・上高野村と呼んでいた。叡山三千坊と言って,この周辺には多くのお寺があった。「修学院」もその中の1つで,平安時代に勝算(僧)によって開かれた。そのお寺は赤山禅院より西にあって,上高野に行く檜峠の南がその跡だそうです。このお寺は500年ぐらい続きましたが,その後なくなりました。「つれづれ草」という本を書いた吉田兼好法師がしばらく住んでいたということです。”とあった。なるほど、歴史のある場所なんですね。

ちなみに修学院小学校の始まりは大正5年(1916)4月1日でその年の5月24日には“3年生以上大文字登山。大津でスミス氏の宙返り飛行を見る。”というような興味深い記述が。(以上“”内「紙飛行機 こちら校長室」より抜粋)「スミス氏の宙返り飛行」とは何だろう。調べたところ、アメリカ人のアート・スミスという人で、「鳥人」と呼ばれた飛行家。来日して各地で入場料を取り、曲芸飛行を披露したらしい。大正6年に静岡県浜松市の練兵場で当時10歳だった本田宗一郎少年も、親の目を盗んで金2銭を握りしめ、自転車で二十数キロ離れた会場に駆けつけた、そうだ。このときの体験が(ご本人が目にすることはできなかったけれど)「ホンダジェット」として結実しているのですね。時空を超えていろいろ繋がりました!